「ひかりごけ事件」の版間の差分
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== 経緯 ==
[[太平洋戦争]]中の[[1943年]]12月、[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]の徴用船<!--「第五精神丸」の名は仮名である可能性があるためコメントアウト -->が7人の乗組員を乗せて船体の修理のため[[小樽市]]へ向かう途中、[[知床岬]]沖で[[時化|シケ]]に遇い遭難
船員らは船から退避
翌[[1944年]]2月、
船長が故郷に帰還すると、船長は「奇蹟の神兵」としてもてはやされた(ただし船長は民間人の立場で徴用され
[[2月18日]]、警察は船長の漂着地であるペキンノ鼻の南で現場検証を行った。その際、ペキンノ鼻の北で炊事夫の凍死体を発見・回収した。軍部から箝口令が出され、捜査を中断した。5月、船長が冬を越したとされる番屋の持ち主が、番屋近くでリンゴ箱に収められた白骨を発見し、警察に通報した。警察による現場検証が行われ、ペキンノ鼻の北で新たに2人の遺体が回収された。見つからなかった残る2人についても食人が疑われた(船長は否定)。
6月、警察は殺人、死体遺棄及び死体損壊の容疑で船長を逮捕
検察は船長を死体損壊容疑で起訴。刑法には食人についての規定がないため、食人の是非については裁判では問われなかった。8月、船長に対する心神耗弱が認められ、懲役1年の判決が下りた。
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