「レビラト婚」の版間の差分

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=== 中国 ===
*[[唐]]の太宗[[太宗 (唐)|李世民]]は、[[玄武門の変]]で同母弟の斉王[[李元吉]]を殺害した後にその妻の楊氏([[隋]]の[[煬帝]]の娘)を自分の妻(側妻)に迎えて、[[李恪 (呉王)|李恪]]、[[李明 (唐)|李明]]をもうけた。
*[[金 (王朝)|金]]の太祖[[阿骨打]]の次男[[繩果]]の妃蒲察氏は、繩果の死後にその異母兄[[斡本]]と再婚した。斡本は繩果と蒲察氏の子である[[熙宗 (金)|熙宗]]の養父となり、その即位に貢献した。
*[[清]]の世祖[[順治帝]]の生母[[孝荘文皇后]]は、太宗[[ホンタイジ]]の側室の一人であったが、太宗の死後に世祖の摂政となった太宗の異母弟[[ドルゴン]]と再婚したという説がある。レビラト婚は[[満州民族|満州族]]([[女真]])の古来の風習では普通に行われていたが(上述した金の皇族はその一例)、[[儒教]]では不義にあたるとされ、ホンタイジはこれを禁じており、実際にこの結婚が行われたか否かについては議論が分かれている。