「ロシア・ツァーリ国」の版間の差分

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== 16世紀 ==
=== ビザンツの遺産 ===
{{main|ツァーリ|第3のローマ|en:Third Rome}}
 
16世紀までに、ロシアの統治者は強権を振るう専制的な存在、[[ツァーリ]]へと変貌を遂げた。この称号を帯びることにより、モスクワの元首は自らを[[ビザンツ皇帝]]やモンゴルの[[ハーン]]と並ぶ大国の君主だということを強調しようとした。さらに、[[イヴァン3世]]が最後のビザンツ皇帝の姪[[ゾエ・パレオロギナ]]と結婚すると、モスクワ宮廷はビザンツ帝国の使用語彙、儀式、称号、現在も[[ロシアの国章]]に継承されている[[双頭の鷲]]の紋章などを使い出した。
 
[[ファイル:Ivans ivory throne.jpg|thumb|180px|[[イヴァン4世]]の象牙の玉座]]
そもそも、ビザンツの「[[専制君主]]」の称号は単なる独立君主を意味していたが、[[イヴァン4世]]の治世には無制限の支配権を持つ者(独裁者)という意味をも併せ持つようになった。イヴァン4世はツァーリとして戴冠し、少なくとも[[ロシア正教会]]においては皇帝と見なされていた。プスコフの修道司祭[[フィロフェイ]]([[:en:Philotheus of Pskov|en]])は、1453年に[[コンスタンティノープル]]が[[オスマン帝国]]の手に落ちて以後、ロシアのツァーリは正教徒にとって唯一の正統な君主であり、[[モスクワ]]はかつて[[キリスト教]]世界の中心であった[[ローマ]]および[[コンスタンティノープル]]の後継者、すなわち[[第3のローマ]]([[:en:Third Rome|en]])だと主張した。この歴史概念は後世のロシア人の自己イメージに甚大な影響をおよぼすことになる。
 
=== イヴァン4世の治世初期 ===