「イギリス海軍」の版間の差分

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[[File:The arrival of King Charles II of England in Rotterdam, may 24 1660 (Lieve Pietersz. Verschuier, 1665).jpg|thumb|right|250px|イングランド王位に就くために[[ロッテルダム]]を出港するチャールズ2世の艦隊。]]
[[File:MerryMonarch.png|thumb|right|250px|チャールズ2世]]
1660年、[[王制復古]]の宣言がされると、ロバート・ブレイクの死後ジェネラル・アット・シーの筆頭格だった[[ジョージ・マンク (初代アルベマール公)|ジョージ・マンク]]将軍([[:en:George Monck, 1st Duke of Albemarle|en]]、初代アルベマール公)が王党派に転じ、後任のジェネラル・アット・シーである[[エドワード・モンタギュー (初代サンドウィッチ伯爵)|エドワード・モンタギュー]]([[:en:Edward Montagu, 1st Earl of Sandwich|en]]、初代[[サンドウィッチ伯爵]])に対し、艦隊を率いて国王を[[亡命]]先の[[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]]へ迎えに行くよう指示した。エドワード・モンタギューはこの頃地方に隠遁していたが、当時モンタギュー家の執事だった[[サミュエル・ピープス]]をロンドンに残し、彼を通じて議会の動向を把握しており、マンクの指示に従ってイングランド艦隊を掌握し、オランダから[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]を連れ帰った。
 
このように、イングランド海軍は王政復古に際し全艦隊を挙げて王党派に転じたため、ことでチャールズ2世によってその忠誠を賞され全幅の信頼を得ロイヤルの称号が与えられて「'''ロイヤル・ネイビー'''(国王の海軍)」となった。ピープスは王政復古後、{{仮リンク|ネイビー・ボード|en|Navy Board}}長官や{{仮リンク|イギリス海軍本部書記官|en|Secretary to the Admiralty}}といった公職を歴任し、[[議会]]によるコントロール下の海軍の制度を整備し、共和国時代の負債解消に務めた。そのため、彼は「イギリス海軍の父」とも呼ばれている
 
サミュエル・ピープスは王政復古後、ネービー・ボード([[:en:Navy Board|Navy Board]])長官や[[海軍本部]]書記官([[:en:Secretary to the Admiralty|Secretary to the Admiralty]])といった公職を歴任し、[[議会]]によるコントロール下の海軍の制度を整備し、共和国時代の負債解消に務めた。そのため、彼は「イギリス海軍の父」とも呼ばれている。
 
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Image:Sfdrake42.jpg|[[フランシス・ドレーク]]
Image:George_Monck_1st_Duke_of_Albemarle_Studio_of_Lely.jpg|ジョージ・マンク
File:Edward Montagu.jpeg|初代サンドウィッチ伯爵エドワード・モンタギュー
ファイル:Samuel Pepys.jpg|サミュエル・ピープス
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