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== 生涯 ==
[[真田信繁|真田幸村(信繁(幸村)]]に仕える[[甲賀流]]忍者であり、[[徳川家康真田十勇士]]に仕えの第一・筆頭であ[[伊賀流]]忍者の[[服部正成|服部半蔵]]は対をなす存在として扱われてるものが一般的な設定である。
 
立川文庫や松本金華堂などによると、鷲尾佐太夫は[[森長可|森武蔵守]]の家臣であった。[[小牧・長久手の戦い]]で[[森長可]]武蔵守鉄砲により討ちすると鷲尾佐太夫は信濃の[[鳥居峠 (長野県・群馬県)|鳥居峠]]の麓に住んで郷士となり、姉の小夜と弟の佐助の二人の子をなす。<ref>真田家三勇士</ref>以上が初期設定である。{{要出典範囲|date=2016年7月|二代目の本名佐助井辺武助である}}。[[戸隠山|戸隠の山]]の中で遊んでり修行をしてところ、摂州花隈の城主[[戸沢山城守]]の父の[[戸白雲斎]]に見出されてその弟子となる。[[甲賀流]]の忍者だが、白雲斎は[[甲賀]]忍術開祖なく信濃のあり、鳥居峠の近くの角間渓谷(真田忍者の修行場だったとの伝説がある)で三年の間修行をしていた。のち幸村に見いだされ、猿飛佐助幸吉(さるとび さすけ ゆきよし)と名付けられて仕える
[[真田十勇士]]の第一・筆頭として登場。幸村に猿飛佐助幸吉(さるとび さすけ ゆきよし)と名付けられる。
 
立川文庫や松本金華堂などによると、鷲尾佐太夫は森武蔵守の家臣であった。[[小牧・長久手の戦い]]で[[森長可]]が鉄砲により討ち死にすると鷲尾佐太夫は信濃の[[鳥居峠 (長野県・群馬県)|鳥居峠]]の麓に住んで郷士となり、姉の小夜と弟の佐助の二人の子をなす。<ref>真田家三勇士</ref>以上が初期設定である。{{要出典範囲|date=2016年7月|二代目の本名は井辺武助である}}。[[戸隠山|戸隠の山]]の中で猿と遊んでいるところ、摂州花隈の城主戸沢山城守の父の[[戸澤白雲斎]]に見出されてその弟子となる。[[甲賀流]]の忍者だが、白雲斎とは[[甲賀]]の里でなく信濃の鳥居峠の近くの角間渓谷(真田忍者の修行場だったとの伝説がある)で三年の間、修行をしていた。
 
[[大坂の役|大坂夏の陣]]で徳川方に敗れた後、幸村と共に[[薩摩藩|薩摩]]に落ちのびたという。