「マツダ・ロードスター」の版間の差分

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</ref>はマツダが北米に開設していたMAZDA RESEARCH of AMERICA(以下MRA)のスタッフが空港に向かう車中で「[[MG (自動車)|MG]]のようなライトウェイトカーがあれば」と話したこととされている。それを受けて、当時MRAに在籍していた福田成徳<ref>『ル・ボラン別冊 ユーノス・ロードスター』70~75ページ</ref>らがデザインコンセプトをまとめた。デザインコンセプトは有志の手によって試作車となり、イギリス、アメリカで実際に走行試験が行われた。試作車の開発コードは”P729”とされた。この走行試験を見かけた一般車が試作車を追いかけてきて「代金はいくらでも払うから譲ってほしい」と言われた逸話がある。この試作車はマツダ社内に保管されており、2009年夏に20周年イベントのプレイベントにて展示公開された。
 
その後も開発は、日本国内の工場の隅にある、通称「リバーサイドホテル」と称される施設で、有志により継続された。その後、有志によって「ライトウェイトオープン スポーツ」の存在がマツダ社内でプレゼンされ、正式開発の指示の下、正式開発ラインに初めて乗ることになる。開発に当たってのキーワードは「人馬一体」とされた。当時、マツダのデザイン拠点は広島本社とは別に前述のMRAの他、横浜にあるデザイン本部(MRY)、そしてヨーロッパ(MRE)にも展開されており、これら3拠点で練られたデザインが持ち寄られ、最終的なデザインの方向性が決められた。主となるデザインはMRA提案であったが、後の開発過程で贅肉をそぎ落としていくことになる。当時のデザインコンセプトは「ときめき<ref>『ル・ボラン別冊 ユーノス・ロードスター』70ページ</ref>」である(その後デザインコンセプトは「ひびき」、「語らい」と続いていく)<ref name="shashin">『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p83</ref>。
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[[ヘッドライト]]には[[リトラクタブル・ヘッドライト]]を採用。[[尾灯|リアコンビネーションランプ]]は、デザイン性と機能性の両立を評価され、[[ニューヨーク近代美術館]] (MoMA) に展示・永久収蔵されている<ref>{{Cite web |url= http://www.moma.org/collection/object.php?object_id=91740|title=MoMA | The Collection | Mazda Motor Corporation, California. MX5 Miata Automobile Taillight. 1983|accessdate=2014-06-21}}</ref>。
 
量産モデル決定後、他の市販車ではあり得ない約1年半という期間で市場にデビューすることになる。量産開発コードは”J58G”とされた。非常に短期間での市場投入をするべく既存車両の部品流用も多く、2代目AA系キャロルのサイドウインカー、3代目E8/F8系ボンゴの灰皿等がそうである。灰皿のシボ模様はロードスターの室内樹脂部品のシボ模様と異なるが構成部品として採用された。
 
最初期のモデル以降、2度の大きなマイナーチェンジを受ける。排気量の変更を始め、各部剛性の向上など性能は大きく変化することになるが、エクステリアに関しては大きな変更はなく、どのモデルも大きな違いはない。リアの“Roadster”のロゴプレートに関しては文字色が各モデルで異なり、NA6CEが黒文字、NA8Cシリーズ1が赤文字、NA8Cシリーズ2が緑文字となっている。