「野球界の永久欠番」の版間の差分

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* '''30''':[[鶴岡一人]](監督)1966 - 1979年
*: 1947年より、一旦監督を辞任した1965年まで着用し、1966年以降は後任監督の[[蔭山和夫]]に禅譲する予定だったが、蔭山が就任して5日後に急死したため([[南海蔭山新監督急死騒動]])、球団挙げての復帰要請で急遽監督に復帰した鶴岡は1968年に再度辞任するまで'''31'''を着用した。その後は長期に渡って空き番だったが、1980年に[[台湾]]出身の[[高英傑]]が着用し、14年振りに復活した。
* '''52''':[[川崎宗則]](遊撃手)2012年 - 2016年、2018年 -
*: 川崎のMLB移籍後欠番となっていたがおり、2017年シーズン開幕直後の4月1日に復帰したため再度着用していたが翌2018年に引退表明し退団したため再び空き番号となった
* '''89''':王貞治(監督) 2009年 -
*: 「野球(やきゅう)」とも読めるこの背番号で福岡移転後の監督としては最多の、3度のリーグ優勝と2度の首位、2度の日本一達成。監督退任後、次期監督の秋山幸二に継承を打診も、秋山本人が辞退。