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Roku61 (会話 | 投稿記録)
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低空飛行の支持率からスタートした政権だが、自由党・公明党との連立などで政権基盤は安定し、長期政権も視野に入っていた。しかし2000年(平成12年)4月2日に[[脳梗塞]]を発症した。実はこの前日、連立与党を組んでいた自由党との連立が決裂しており、4月2日午後、政権運営がより困難になったと思われるこの緊急事態について記者から質問されると小渕はしばし答弁できず、無言状態から言葉を出すのに10秒前後の不自然な間が生じていた。これは[[一過性脳虚血発作]]という一過性の脳梗塞の症状と考えられており、梗塞から回復したときに言葉を出すことができたとされる。
 
元々小渕には心臓病の持病があり、それに加えて首相の激務が脳梗塞を引き起こしたと考えられている。通常執務終了後、[[総理大臣公邸]]に戻ってもおびただしい数の書類、書籍、新聞の切り抜きに目を通し、徹夜でビデオの録画を見るのが普通で、一般国民にまでかける数々の[[ブッチホン]]を始め、休日返上で様々な場所に露出するスタイルや、外相時代から引き続いて外遊を多くこなしたことも健康悪化に拍車をかけた<ref>[[竹中治堅]] 『首相支配--日本政治の変貌』 中央公論新社〈中公新書〉、2006年5月25日、127頁。ISBN 4121018451</ref>。
 
小渕は意識が判然としないまま、当日夜、[[順天堂大学医学部附属順天堂医院]]に緊急入院したとされる。そして、執務不能のため内閣官房長官の[[青木幹雄]]を[[首相臨時代理]]に指名したとされる。しかし青木の首相臨時代理就任に関しては、脳梗塞で既に意識を完全に失っていたかもしれない小渕本人に果たして指名を行うことができたのかと、野党・[[マスメディア]]に「疑惑」として追及された。