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== 生涯 ==
13歳で[[山城国]]三聖寺の[[無為昭元]]に師事して[[出家]]し、後に[[鎌倉市|鎌倉]][[禅興寺]]の[[約翁徳倹]]、[[武蔵国|武蔵]][[金沢区|金沢]][[称名寺 (横浜市)|称名寺]]の[[慧雲]]、[[一山一寧]]などに師事した。[[元応]]2年([[1320年]])に[[可翁|可翁宗然]]らと共に中国の[[元 (王朝)|元]]に渡り、[[天目山 (浙江省)|天目山]]の[[中峰明本]][[径山]]の[[元叟行端]]などに参禅し、中峰から寂室の道号を与えられた。[[嘉暦]]元年([[1326年]])に帰国し、以後25年間は中国地方、中部地方など各地を行脚した。[[備後国|備後]][[永徳寺]][[摂津国|摂津]][[福源寺]]などを開き一時留まったりもしている。
 
[[正平 (日本)|正平]]16年/[[康安]]元年([[1361年]])、[[近江国|近江]][[守護]][[六角氏頼]]の帰依を得て、[[永源寺]]の開山となった。師・中峰の隠遁的な禅を受け継ぎ、世俗から離れ、生涯黒衣の平僧として過ごした。時の天皇や[[室町幕府]]から京都[[天龍寺]]・鎌倉[[建長寺]]などへ拝請されたが、受けることなく永源寺に隠棲した。
 
詩・偈・墨跡は特にすぐれ、[[重要文化財]]に指定されているものもある。
 
== 文化財 ==
*紙本墨書寂室元光墨蹟(瑞岩号)(蔵・新潟県 [[貞観園]]保存会)
*紙本墨書寂室元光消息二月九日 華厳寺宛〉(蔵・)(滋賀県 [[永源寺]])
*寂室元光墨蹟(風撹飛泉詩)(蔵・滋賀県 永源寺)
*寂室元光墨蹟遺偈 貞治六年九月一日〉(蔵・滋賀県 永源寺)
*寂室元光墨蹟越谿字号并説(〓牋)/ 貞治五年仲秋月)(蠟牋) 蔵・滋賀県 退蔵寺)
*紙本墨書寂室元光消息極月廿四日 華蔵院宛〉(蔵・)([[京都国立博物館]])
*寂室元光筆消息六月十八日 覚明宛〉(蔵・)(京都府 法雲院)
*寂室元光筆大慧禅師法語 蔵・京都府 [[北村美術館]])
*寂室元光墨蹟与弥天釈侍者付衣偈 貞治丙午臘月〉(蔵・)(京都府 [[承天閣美術館]])
※全て国指定重要文化財。
 
== 関連文献 ==