「ベルノ店」の版間の差分

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当初のシンボルマークは、"VERNO"の"V"をデザイン化し、“V”の左半分を赤で、右半分を3本のラインを緑で表していた<ref>[http://www.honda.co.jp/news/1978/c780920.html ホンダベルノ店のシンボルマーク・テーマカラーを決定] - 本田技研工業プレスインフォメーション(1978年9月20日発表)2018年3月31日閲覧</ref>。その後、[[プリモ店]]の"P"、[[クリオ店]]の"C"を表す素となった。
 
販売店の責任において、積極的かつ効果的に製品の販売活動を行う「販売責任地域」(PMA=プライマリー・マーケット・エリア)という考え方をホンダディーラーで初めて導入し、それまでの[[商慣習]]であった販売店周辺をテリトリーとする[[訪問販売]]をやめ、店頭販売とした<ref>[http://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/1966automarket/page06.html 4輪車の販売体制づくり / 1966 6ページ理想的な販売網の構築へ] - 本田技研工業 > 語り継ぎたいこと ~ チャレンジの50年 ~ > ついに果たした四輪業界へHonda進出チャレンジングスピリット(更新日不明)2018年3月31日閲覧</ref>。
 
2006年(平成18年)[[3月1日]]より他系列のプリモ店、クリオ店とともに全店全車種併売へと移行<ref name="n5"/>、それまでプリモ店独占だった[[軽自動車]]の取り扱いも始め、同年[[7月13日]]をもって販売網の統一名称「[[Honda Cars店]]」へ移行した。