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**[[駒澤大学]]を中退し、[[住友金属野球団|住友金属]]に入社して活動していた小島を{{by|1989年}}に[[ドラフト外入団]]として獲得する。しかし、この入団方法に疑問が呈された結果、大学中退者でありながら、在学期間が短い関係上高卒扱いで登録されていたため、「'''高卒の社会人野球選手は3年間プロ入りできない'''」という[[日本プロフェッショナル野球協約|野球協約]]に違反しているとされ契約無効になってしまい(在学期間が長い大学中退及び大卒の社会人野球選手は2年間)、同時に西武球団は[[制裁金]]50万円と、以降新人及び移籍扱いで小島を獲得する事が禁止されるペナルティーが科せられた<ref>B.B.MOOK156 スポーツ伝説シリーズ18「プロ野球ドラフト読本2000」51P、ドラフトミニ事件史、ベースボール・マガジン社、2001年、ISBN 978-4583611174</ref>。しかし根本は小島を見捨てず、翌年3月から3ヶ月にわたり自宅で小島の面倒を見て、野球指導を行い、「プロに入るためではなく一軍で活躍するために練習しろ」と数多くのアドバイスを送った<ref>『中日ドラゴンズ ドラフト1位のその後』(別冊宝島編集部、2014年)94頁</ref>。その後、小島は西武の担当スカウト宅や地元・京都で自主トレを行い、[[1990年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|その年のドラフト]]で中日から指名を受け入団した。
*台湾球界のエースであった[[郭泰源]]を獲得。
*[[和歌山県立日高高等学校中津分校|日高高校中津分校]]の[[垣内哲也]]はプロ野球史上初めてで2人目の分校出身者(初は中日→南海の[[星野秀孝]])で、分校まで網羅した根本の情報網が注目された。その後も同校出身の選手が数名西武に入団している。
 
=== ダイエー時代 ===