「イ・サン」の版間の差分

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=== 主要人物 ===
; [[正祖|イ・サン(李祘)・チョンジョ(正祖)]]:[[イ・ソジン]]-([[川島得愛]])幼少期:[[パク・チビン]]-([[本城雄太郎]])
: この物語の主人公でサド思悼世子の次男で、英祖の孫にあたる。後の[[李氏朝鮮]]第22代国王・正祖。正室はヒョイ王妃。
: 11歳の頃に[[老論派]]の陰謀によって父が刑死させられる直前にソン・ソンヨン、パク・テスらと出会い、身分を超えた友情を結ぶ。その後も2人を温かく見守りつつ、ソンヨンに好意を抱くようになる。父が刑死したのちに老論派の諸臣が「罪人の息子は王になれない」と主張したため、英祖の長男である[[孝章世子]]の養子となり、英祖の後継者(世孫)となる。持って生まれた洞察力と明晰な頭脳は祖父・英祖から受け継いだが、人間に対する暖かい見解が祖父とは異なる。学問が好きで、武芸にも優れる。「聖君になれ」という父の遺志を継いで王になることを決意し、祖父である英祖から後継者として多くを学び、成長後は父を死に至らしめた老論派を敬遠し、少論派や南人派などの臣下を身の回りに置き老論派を牽制するようになるが、即位を阻もうとする老論派の敵対勢力に命を狙われる。
: 25歳で即位する際には「私は、'''サド世子様の息子'''だ」と臣下に向かって宣言し、父の無実と正当性を示した。[[水原市|水原]][[華城|華城 (世界遺産)]]に代表される優れた建設技術や新しい文物の西学導入など、朝鮮末期文化の華を開かせ、[[ハングル]]を創造した[[世宗 (朝鮮王)|世宗大王]](李氏朝鮮第4代国王)と並ぶ好学の王としての誉れ高いが、生涯に10回以上反対勢力からの刺客による暗殺未遂事件を起こされる波乱の人生を送った。