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[[File:Emma Debussy after Léon Bonnat.jpg|thumb|エンマ・ドビュッシーの肖像画([[レオン・ボナ]])]]
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'''エンマ・バルダック'''({{fr|Emma Bardac}}, [[1862年]] – [[1934年]])は、[[フランス]]の[[声楽家]]。旧姓'''モイーズ'''('''Moyse''')
 
[[世紀末|19世紀末]]の[[パリ]]で歌手であった。
 
ユダヤ系の家庭に生まれ、17歳で銀行家のシジスモン・バルダック(Sigismond Bardac)と結婚し、子を2人もうけた。後のドビュッシーの教え子ラウルとエレーヌである。後に[[ガブリエル・フォーレ]]と[[クロード・ドビュッシー]]の両方から求愛され、元夫と離婚し、後者と再婚した。
 
フォーレはエンマとその娘エレーヌ(愛称ドリー)のために組曲『[[ドリー (フォーレ)|ドリー]]』を作曲した。一説にはエレーヌはフォーレとの不義の子とも言われる。特に第1曲『子守唄』はエレーヌ(ドリー)を描写しており、また第2曲『ミアウー』は本来エレーヌが兄ラウルのことを「ムッシュー・ラウル Monsieur Raoull (ラウルお兄様)」と敬称を付けて言うはずが、幼い口で上手く言えずにメシュー・アウー Messieu Aoul!になってしまうことを描写した題名だったが、出版社の判断で一般的な[[ネコ]]の鳴き声としての表記に改められた。またエンマのために歌曲集『[[優しい歌 (ヴェルレーヌ)|優しい歌]]』を作曲した。
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[[Category:クラシック音楽史の人物]]
[[Category:クロード・ドビュッシー]]
[[Category:ユダヤ系フランス人]]
[[Category:1862年生]]
[[Category:1934年没]]