「朝青龍明徳」の版間の差分

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==== 2004年/2005年 ====
前2003年11月場所限りで[[武蔵丸光洋|武蔵丸]]が引退したことにより、2004年1月場所の[[番付]]で朝青龍は史上8人目の[[横綱#一人横綱|一人横綱]]となる。先輩横綱達の引退も朝青龍のワンマン時代が実現する要因となった<ref name="takasagoo29"/>。なお同1月場所は千秋楽に栃東を押し出しで下し、自身初の全勝優勝を達成した。続く3月場所では、千秋楽に1敗で追う千代大海を引き落としで破り、2場所連続全勝優勝(30連勝)を果たした。この場所は、11日目まで朝青龍、魁皇、千代大海、朝赤龍が全であり、初日から4力士が11日目まで勝ちっぱなしという史上初の快挙が成し遂げられている<ref>『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p.60-61</ref>。
 
5月場所は、6日目(同年5月14日)に[[前頭|平幕]]の[[北勝力英樹|北勝力]]戦で一方的に敗れてしまい、[[連勝記録 (大相撲)|連勝記録]]が「35」(史上6位)でストップ。最終的にこの場所は13勝2敗となったが、[[千秋楽]](5月23日)にモンゴルの後輩、[[白鵬翔|白鵬]]が[[立合い]]の[[変化 (相撲)|変化]]で北勝力を破って「援護射撃」を果たすと、自身も結びの一番に勝って迎えた[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]で北勝力を破り3場所連続優勝を達成。部屋、[[一門 (相撲)|一門]]の枠を超えて白鵬と喜びを分かち合った。