「開聞岳」の版間の差分

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開聞岳南麓の海底には幅7.8km、長さ9.3kmに及ぶ馬蹄形の海底崖と、[[海底地すべり]]に伴う多数の[[流れ山]]が存在している。この海底崖は開聞岳山体の南部地下にも見られ,現在の開聞岳ができる前に海底地すべりが発生したものと考えられる<ref>{{Cite web |date= 2008 |url= http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/kaisetsu/CCPVE/Report/097/kaiho_097_20.pdf |title= 開聞岳沖の海底地すべりについて |format=PDF |publisher=[[海上保安庁]] |accessdate= 2015-12-02 |journal= 火山噴火予知連絡会会報 |volume= 97}}</ref>。
 
7世紀末頃の噴火による噴出物の堆積層は青コラ、9世紀末頃のそれは紫コラと呼ばれており、薩摩半島南部で広く見られる地層(日本[[考古学]]では[[土層 (考古学)|土層]])である。噴火の年代が分かっているので、[[発掘調査|発掘]]対象の[[遺跡]][[遺物]]がこれらの地層の上下どちらから出てくるかで、この時代の生活の変化などを知る重要な手がかりとなっている。7世紀末の噴火では被害を受けつつも、[[古墳時代]]の様式を残した生活が続いていたが、9世紀末の噴火では大きな被害を受けて集落が放棄されるなど大きな生活の変化が起きていることが判明している。[[橋牟礼川遺跡]]は9世紀末の噴火によって放棄された代表的な集落である<ref>原口 泉・永山 修一・日隈 正守・松尾 千歳・皆村 武一 『鹿児島県の歴史』 pp.68 - 69 [[山川出版社]] 1999年 ISBN 4-634-32460-1</ref>。
 
[[2000年]]([[平成]]12年)[[12月12日]]から下旬にかけて、噴気が観測された。