「ベン・ケーシー」の版間の差分

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* 演出 - 村上瑛二郎<ref name="bencasey">『ベン・ケーシー特集号』「[[映画の友]]」1962年11月号臨時増刊、P106、[[1962年]][[11月10日]]</ref>、甘利和子<ref name="bencasey">『ベン・ケーシー特集号』「[[映画の友]]」1962年11月号臨時増刊、P106、[[1962年]][[11月10日]]</ref>
* 吹替翻訳 - 進藤光太<ref name="bencasey2">『ベン・ケーシー特集号』「[[映画の友]]」1962年11月号臨時増刊、P107、[[1962年]][[11月10日]]</ref>([[映画翻訳家協会]]所属)
 
== 主題歌 ==
アメリカでの放送時は主題歌はなかったが、日本では独自の主題歌が作られた<ref>「テレビは主題歌でいっぱい」『[[朝日新聞]]』1963年2月17日付東京朝刊、21面。</ref>。
*『ベン・ケーシー』([[キングレコード]])
**作詞:[[田上みどり]]、作曲・編曲:[[宮川泰]]、歌:[[鹿内孝|鹿内タカシ]]
 
== エピソード ==
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*「ベン・ケーシー」の番組冒頭の板書きは印象に残るが、もう一つ忘れられないのはテーマ曲。病院の廊下をあわただしく移動するベッドの患者の目に映る廊下の天井の映像とともにこの[[デイヴィッド・ラクシン]]作曲のテーマ曲の躍動感は記憶に残るものである。そしてNHK総合テレビで放送されている『[[総合診療医ドクターG]]』で使われている曲こそ、この「ベン・ケーシー」のテーマ曲である。かつてNTVで放送されていた『[[カックラキン大放送!!]]』のコントコーナー「[[堺正章|堺]]先生のドクター記録」のオープニングにも使われている。
*「ベン・ケーシー」は最初NETが購入に積極的であったが、値段で折り合えず、そこで輸入業者がTBSに持ち込んだが、ここでも話が地味であるとして消極的であった。するとNTVが急遽4月から放送するとして話が一旦は決まったが、契約の段になって「放送は5月第3週から」と局から説明を受けて、それではアメリカABCに4月中に支払う約束の代金が間に合わないとして再びご破算となった。そうこうするうちにTBSで金曜日夜に放送していた「マンハッタン・スキャンダル」の後番組を探していたスポンサーの三洋電機が選考に上っていた「ハワイアン・アイ」が当時人気番組であった「サンセット77」と類似していて躊躇する状況で、それでは「ベン・ケーシー」を再度検討することとなり、迷った編成部長が百円玉を投げてコインの裏表で決めることとなり、結果は「ベン・ケーシー」を放送することになった<ref>週刊TVガイド別冊「テレビ30年」41~43P ベン・ケーシー特集  東京ニュース通信社 1982年2月発行 参照</ref>。「ベン・ケーシー」を取れなかったNETはその後「ドクター・キルデア」を購入し10月から放送したが視聴率はもう一つであった。またTBSが断念した「ハワイアン・アイ」もNETが購入して翌年放送している。
 
*[[外科医]]や[[歯科医]]など外科系の医師が着用している短いセパレート型の診療衣は『ケーシー』と呼ばれているが、これはこのドラマでベン・ケーシー(ヴィンセント・エドワーズ)が着ていた[[白衣]]をベン・ケーシー型白衣というようになったことに由来する。なお、ケーシー型の白衣は、中世の[[理容師]]の制服が起源といわれている。コメディアンの[[ケーシー高峰]]が着用した。
*[[三洋電機]]の[[一社提供]]<ref>「テレビコマーシャルの考古学」([[世界思想社]])220頁 2010年</ref>。