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[[1990年]][[第39回衆議院議員総選挙]]では、前年の[[第15回参議院議員通常選挙]]で[[土井たか子]][[日本社会党委員長|委員長]]の人気([[土井ブーム]])の恩恵を受け社会党が大勝した。そのため、社会党内では、参院選で京都1区の地域で複数候補が当選できるだけの票を得たことを理由に、2人目を立てるべきとの声が上がり、[[大湾宗則]]が公認漏れのまま[[無所属]]出馬を強行した。結果、竹村は13年2ヶ月ぶりに国政復帰を果たしたが、大湾は落選した。[[1991年]][[田邊誠]]新委員長を首班とする[[社会党シャドーキャビネット]]産業・貿易政務次官。しかし[[1993年]][[第40回衆議院議員総選挙]]では新党ブームの影響を受け[[日本新党]]公認[[新党さきがけ]]推薦の新人[[前原誠司]]に浮動票奪われ落選。
 
最後の社会党京都府本部委員長、党名変更で[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]京都府連合初代代表<ref>{{Cite web |date= |url= http://www.labor.or.jp/gakuen/history/1996.htm|title= 1996年|publisher= ラボール学園(社団法人京都勤労者学園)|accessdate=2018-4-4}}</ref>として[[京都府第6区|京都6区]]に国替えし国政復帰を目指していたが[[1996年]]体調不良で次期衆院選不出馬を表明、政界を[[引退]]。晩年、政界引退後は前述の前原誠司を評価し、自身の後援会の最後のバス旅行で当時まだ青年であった前原を紹介した。このことから、かつて地盤とした[[山科区|山科]]、東山区の竹村支持者の多くは前原に引き継がれて今日に至っている。
 
1998年11月19日死去。[[享年]]68。[[勲章|死後叙勲]]で正五位勲三等旭日中綬章を受章した。
 
実兄の[[竹村昭|昭]]も東山区→山科区選出の京都府議会議員。
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
{{DEFAULTSORT:たけむら ゆきお}}