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[[ファイル:Follis-Leo VI-sb1729.jpg|thumb|皇帝[[レオーン6世]](在位:886年 - 912年)の[[銅貨]]。裏面には"{{lang|el|+LEOn En ΘEO bASILEVS ROMEOn}}"(レオーン、神に(忠実なる)[[ローマ人]]の[[バシレウス]])と書かれている。]]
[[File:Porphyrogenetus.jpg|thumb|キリストに加冠される皇帝[[コンスタンティノス7世]](在位:913年 - 920年、944年 - 959年)の象牙浮彫(10世紀 [[プーシキン美術館]]蔵)。コンスタンティノスの上にギリシア語で「コンスタンティノス、神に(祝福された)アウトクラトール」、キリストとコンスタンティノスの間に「[[ローマ人]]のバシレウス」と書かれている]]
[[東ローマ帝国]](ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)では「皇帝」の称号は、王朝の交代はあったものの、[[1453年]]に東ローマ帝国が滅びるまで代々受け継がれた。東ローマ帝国では、[[7世紀]]以降[[公用語]]が[[ラテン語]]から[[ギリシア語]]となった。「皇帝」を表す称号としては、元は[[アケメネス朝]]・[[サーサーン朝]]の[[シャー]]を指した[[ギリシア語]]である「'''[[バシレウス]]'''({{lang-el-short|Βασιλεύς}})」(バシレイオスと表記することもある。古典ギリシア語読み。中世ギリシア語の読み方ではヴァシレフス。なお古代ギリシャ時代には単なる「王」を示す単語だった)が用いられた(それまでは[[ラテン語]]の「インペラトル」「カエサル」「アウグストゥス」が引き続き使われていた)。
 
これは、7世紀の皇帝[[ヘラクレイオス]]が[[628年]]に[[サーサーン朝]]ペルシャ帝国を降して首都[[コンスタンティノポリス]]へ凱旋した時に「キリスト教徒のバシレウス」と名乗ったことによる。この「バシレウス=シャー」には、「[[諸王の王]]」([[ペルシャ語]]の「[[シャー|シャーハーン・シャー]]」、[[ギリシア語]]の「バシレウス・バシレオーン」)という意味を含んでおり、[[ローマ帝国]]の皇帝であると同時に「諸王の王」である、という宣言であった<ref>尚樹啓太郎著『ビザンツ帝国史』([[東海大学出版会]] 1999年)P330-331</ref>。これによって[[東ローマ帝国]]の皇帝は、古代のローマ皇帝とは異なって「君主」としての意味が強くなり、このことは西欧の皇帝にも大きな影響を与えた。またキリスト教化の進行によって、皇帝は「神の代理人」という位置付けがされ、宗教的にも大きな権威を持つ存在となった。