「沖田芳次郎」の版間の差分

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明治19年([[1886年]])、東京で[[警察官]]となった芳次郎は、明治19年に新選組隊士で縁戚関係にあった[[井上泰助]]の妹・[[井上ハナ|ハナ]]と結婚、明治21年([[1888年]])には、母・みつと弟の卓吉を連れて[[宮城県]][[塩竈市|塩竈]]に赴き、[[魚介類]]の売買や製塩業を手掛けた。この間に長男・重治が生まれる。明治24年([[1891年]])に長女・ヒサ、明治27年([[1894年]])に次男・要が生まれる。
 
明治28年(1895年)、事業が失敗し失意のまま43歳で死去。その後、塩竈市旭町の[[東園寺 (宮城県塩竈市)|東園寺]]に葬られ、井上泰助が墓碑を建立したという。墓碑は[[昭和]]41年([[1966年]])に子孫によって[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]元麻布三丁目の[[専称寺 (東京都港区)|専称寺]]に移され、同時の過去帳には東園寺で授けられた徳輔宗賢謙譲居士の[[戒名]]が記されている。
 
== 参考文献 ==