「おんな城主 直虎」の版間の差分

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===政次の死と井伊家の滅亡===
永禄11年([[1568年]])今川を支える寿桂尼が死ぬ。[[甲斐国|甲斐]]の[[武田信玄]]と、三河の徳川家康による今川領への侵攻の機運が高まる。直虎と政次は、井伊の安堵に精力を傾け、徳川に遠江侵攻時の恭順を約束。人質としてしのを徳川家臣の松下家に嫁がせる。一方、余裕の無い今川は、再び徳政令発布を命じ、直虎から井伊谷を強引に取り上げ直轄とする。それでも政次が、奸臣を演じて今川に取り入り、井伊谷城代となる。二人は、徳川の下での井伊家復興を誓う。
 
[[駿河侵攻|武田の駿河侵攻]]と徳川の遠江侵攻が始まる。井伊谷に徳川軍が達したとき、道案内役で井伊谷の簒奪を目論む'''近藤康用'''が、偽計で井伊の裏切りを演出する。武田と競う徳川は、疑いつつも井伊谷を近藤に任せる。一度は逃れた政次は、代わりに捕えられた直虎を救うため、自ら近藤に捕まり[[磔]]となる。処刑の時、尼として立ち会った直虎、近くの槍を奪い政次の左胸を突く。二人は呆然とする人々の前で激しく罵り合い、井伊を欺いた家老として、二人は政次の一生を終わらせる。これにより井伊と直虎への咎は収まるが、直虎は正気を失うほどの喪失感と悲しみに襲われる。
 
遠江侵攻を続ける徳川は、龍雲丸の一党を含め、気賀の民を虐殺する。虐殺の現場から、直虎は瀕死の龍雲丸を見つけ龍潭寺の僧と共に救い出す。同じく絶望する龍雲丸と共に、直虎も徐々に立ち直る。それでも彼女は、これ以上の悲劇の回避を理由に、直虎は井伊家の再興を断念する。虎松はその決定に反発しながらも、松下家を頼る。同じ頃、今川家も滅亡する。直虎は、龍雲丸の求愛を受け還俗し、農婦'''とわ'''として生きることを決意する。しかし数年後、井伊谷への武田侵攻から民を守りきった彼女の姿を見た龍雲丸はとわ、直虎を残して堺へ旅立つ。
 
===万千代の活躍===