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== 概略 ==
ソ連では、[[カリーニン]]設計局や[[ツポレフ]]設計局による大型旅客機の開発と[[アエロフロート]]での運行がなされていたが、[[1930年代]中ごろには[[K-5_(航空機)|K-5]]などの機体では収容力不足となっていた。そこで、新しい旅客機の開発が各設計者に求められた。また、海外からの機体の輸入やその[[ライセンス生産]]も検討された。対象は、アメリカ合衆国の[[DC-2]]やDC-3であった。
ソ連は[[大祖国戦争]](第二次世界大戦の独ソ戦)中に、アメリカ合衆国からDC-3の軍用タイプであるC-47を700機の供与をうけており、軍用輸送機としての大きな成果を上げていた。その実績によってソ連におけるDC-3の製造ライセンスが取得された。
 
ダグラス社に派遣された経験を持つ技術者[[ボリース・リスノーフ|ボリース・パーヴロヴィチ・リスノーフ]]が、DC-3を基本にしつつもソ連向けに小改良を加え、寒冷気候に強いソ連製[[エンジン]]を搭載した輸送機を設計し「PS-84」と呼称していた。この機体は[[1942年]]以降Li-2の名称で軍用輸送機として量産された。また爆弾を1t1 tまで搭載する軽爆撃機としての運用も行われた。
 
ソ連は[[大祖国戦争]](第二次世界大戦の独ソ戦)中に、アメリカ合衆国からDC-3の軍用タイプであるC-47を700機供与をうけされており、こちらも軍用輸送機として大きな成果を上げていた。その実績よってソ連におけるDCは、Li-3の製造ライセ2に準じてエスが取得されジンを換装するなど改修を施した機体もあった。
 
== 派生型 ==