「東丹国」の版間の差分

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== 東丹国の日本遣使 ==
日本の史書は[[醍醐天皇]]の[[延長 (元号)|延長]]8年(929年)東丹の使節が[[丹後国]]竹野浜(現・[[京都府]][[京丹後市]])に来着したことを伝える。この派遣は、東丹が遼陽城に移った後の時期に当たることから、遷都後も日本海沿岸に東丹の支配が及んでいたことがわかる。使者はこれまで二度も[[渤海使|渤海国使]]として来日したことのある[[裴璆]]であった。何故国名が変わったのかを問われた裴璆は渤海が契丹に征服されたことを知らせ、新王の非道ぶりを訴えた。これを聞きとがめた[[京都]]の朝廷は主君を変えたばかりか、新主の悪口を言うとは不届きであるとして入京させず、追い返している。この史実によれば、東丹は渤海の後継者として日本との[[遣渤海使|通交]]を維持する意向であったことがわかる。
 
== 東丹国国王 ==
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== 参考文献 ==
*[http://ci.nii.ac.jp/naid/110009479720 CiNii 論文 -  「契丹の旧渤海領統治と東丹国の構造 : 「耶律羽之墓誌」をてがかりに」]、[[澤本光弘]]、2008年。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009479720
 
== 内部リンク関連項目 ==
* [[消滅した政権一覧]]