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→‎歴史: 東京朝日新聞縮刷版発行の経緯について加筆。
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== 歴史 ==
最初の新聞縮刷版は、[[1919年]]([[大正]]8年)に『[[東京朝日新聞]]』が初めて月刊での発行を開始した(創刊号は大正8年7月分で、8号(8月15日付だが実際は8月26日発行)。発案者は同紙調査部長の[[杉村楚人冠]]である<ref name="朝日新聞百年史">{{Cite | 和書 | title = 朝日新聞社史 大正・昭和戦前編 | date = 1995-07-25 | editor = 朝日新聞百年史編修委員会 | publisher = [[朝日新聞社]] | isbn = 4-02-273026-9 | pages = 118-119 }}</ref><ref name="小林2012">{{Cite | 和書 | author = 小林康達 | title = 楚人冠 百年先を見据えた名記者杉村広太郎伝 | date = 2012-07-10 | publisher = [[現代書館]] | isbn = 978-4-7684-5687-3 | pages = 220-224}}</ref>。本紙発行後にある程度の採算をめざして定期的に一定部数を発行する、という形での縮刷版の発行は、当時、世界的に見ても類例のないものであった<ref name="小林2012" />。
 
発案者は東京朝日新聞調査部長の[[杉村楚人冠]]で、もともとは新聞のバックナンバーの保存・管理をしやすくするために思いついたものである。ヒントになったのは、[[白虹事件]]の公判に際し、『[[大阪朝日新聞]]』を[[写真製版]]による網版印刷で[[菊判]]に縮刷したものが証拠物件として提出されたことであったという。菊判では字が小さくなりすぎるため、石版印刷で[[菊倍判]](もとの[[ブランケット判]]紙面の約4分の1のサイズ)に縮刷したものを作成することにし、当初は社内用に少部数作るつもりでいたところ、3000部以上売れれば採算がとれることがわかり、一般への販売を行うことになった<ref name="小林2012" />。
 
[[1921年]](大正10年)2月に夕刊が創刊されページ数が増えたため、採算をとることが困難となり、再編集してページ数を減らすことで対応したが、[[1926年]](大正15年)12月以後は発行紙面通りの縮刷版に戻されている<ref name="小林2012" />。
 
なお、『大阪朝日新聞』も[[1928年]](昭和3年)1月分(2月発行)から『東京朝日新聞』とは別に縮刷版の発行を始めたが、1940年9月の東西統合後、[[1941年]](昭和16年)12月に廃刊となった<ref>{{Cite | 和書 | title = 朝日新聞七十年小史 | date = 1949-01-25 | editor = 本多助太郎 | publisher = [[朝日新聞社]] | page = 380}}</ref>。
 
== その他 ==