「新聞縮刷版」の版間の差分
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→歴史: 東京朝日新聞縮刷版発行の経緯について加筆。 |
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== 歴史 ==
最初の新聞縮刷版は、[[1919年]]([[大正]]8年)に『[[東京朝日新聞]]』が
発案者は東京朝日新聞調査部長の[[杉村楚人冠]]で、もともとは新聞のバックナンバーの保存・管理をしやすくするために思いついたものである。ヒントになったのは、[[白虹事件]]の公判に際し、『[[大阪朝日新聞]]』を[[写真製版]]による網版印刷で[[菊判]]に縮刷したものが証拠物件として提出されたことであったという。菊判では字が小さくなりすぎるため、石版印刷で[[菊倍判]](もとの[[ブランケット判]]紙面の約4分の1のサイズ)に縮刷したものを作成することにし、当初は社内用に少部数作るつもりでいたところ、3000部以上売れれば採算がとれることがわかり、一般への販売を行うことになった<ref name="小林2012" />。
[[1921年]](大正10年)2月に夕刊が創刊されページ数が増えたため、採算をとることが困難となり、再編集してページ数を減らすことで対応したが、[[1926年]](大正15年)12月以後は発行紙面通りの縮刷版に戻されている<ref name="小林2012" />。
なお、『大阪朝日新聞』も[[1928年]](昭和3年)1月分(2月発行)から『東京朝日新聞』とは別に縮刷版の発行を始めたが、1940年9月の東西統合後、[[1941年]](昭和16年)12月に廃刊となった<ref>{{Cite | 和書 | title = 朝日新聞七十年小史 | date = 1949-01-25 | editor = 本多助太郎 | publisher = [[朝日新聞社]] | page = 380}}</ref>。
== その他 ==
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