「与謝蕪村」の版間の差分

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=== 後世への影響 ===
蕪村に影響された俳人は多いが特に[[正岡子規]]の俳句革新に大きな影響を与えたことは良く知られ、『俳人蕪村』(現在は[[講談社文芸文庫]])がある。旧暦12月25日は「蕪村忌」。関連の俳句を多く詠んだ
[[1898年]](明治31年)1月に子規、河東碧悟桐が『蕪村句集』の輪講を始め、内藤鳴雪、高浜虚子、佐藤紅緑、石井露月らと[[1903年]]6月まで行ったが、1902年(明治35年)に子規は亡くなった。輪講は雑誌『ホトトギス』に連載され、俳書堂より冬の部(1900年3月)、春の部(1900年9月)、夏の部(1902年1月)、秋の部(1903年6月)の四冊が刊行された。
 
旧暦12月25日は「蕪村忌」。関連の俳句を多く詠んだ。
*蕪村忌に呉春が画きし蕪かな 正岡子規
*蕪村忌の心游ぶや京丹後 青木月斗