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== 解説 ==
本作は[[1963年]][[11月22日]]に発売された2作目の[[ビートルズの作品#英国盤公式オリジナル・アルバム|イギリス盤公式オリジナル・アルバム]]『[[ウィズ・ザ・ビートルズ]]』のA面3曲目に収録された。クレジットは[[レノン=マッカートニー]]だが実質的には[[ポール・マッカートニー]]の作品である。[[ロイ・オービソン]]とのツアー中にバスの中で作られた。[[ボーカル|リード・ヴォーカル]]はポール・マッカートニー<ref group="注釈">ライヴでは3番のメロディーは[[ジョージ・ハリスン]]が歌い、ポール・マッカートニーは3度上のコーラスをつけている。この部分レコードではポールのダブル・トラック。バック・コーラスのハミングはジョンとジョージ。</ref>
 
ポールの自信作で、ジョンも"ポールの初期の名曲"と語る。ジョンの3連弾きのリズムギターが素晴らしい。終盤の二重唱は両方ポール。間奏のジョージのギターも、安易にメロディをなぞるだけなら味気ないが、[[チェット・アトキンス]]風のプレイを披露し進歩を見せた。
ポールの初期代表作のひとつで、現在でもライヴで演奏されるアップ・テンポな曲。[[ジョン・レノン]]をして「ポールは完璧な作曲の能力がある」と言わしめたほど完成された曲である。[[ジョン・レノン]]は[[リッケンバッカー・325]]を使用し3連符を刻んでいる([[ピック奏法#オルタネイト・ピッキング|オルタネイトピッキング]])。ポールは、[[ヘフナー・500-1]]を使い、ランニング・[[エレクトリックベース|ベース]]をしている。ビートルズはもともとこの曲を[[カントリー・ミュージック|カントリー&ウエスタン]]と位置づけており[[ジョージ・ハリスン]]は[[グレッチ]]・カントリー・ジェントルマンを使い、ソロでダブルストップ奏法を使用している。
 
米国での「[[エド・サリヴァン・ショー]]」の生出演で最初に演奏されたのがこの曲。その時の視聴率は72%と言われ、放送中に青少年の犯罪が1つも起きなかったとも言われている。
前述のようにジョン・レノンはこの曲を絶賛、[[1980年]]に「これは残念なことにポールの曲だよ。(笑)/原稿にここで「笑」と入れといてくれよ。くやしいほどいい曲さ。(歌い出す)バックで思い入れたっぷりのギターを弾いているのがぼく。」<ref>『PLAYBOYインタビュー ジョン・レノン』、[[1981年]] [[集英社]](135頁)</ref>と語っている。
 
この曲は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]進出時に出演した人気[[TV番組]]『[[エド・サリヴァン・ショー]]』の初出演時に最初に演奏した曲としても知られる(その際、キーが半音下がっていた)。この時、全米総人口の72%の人 (約7300万人) が彼らの演奏を見たと言われている。また、ビートルズ出演の時間帯だけ[[マンハッタン]]における少年犯罪発生率が低下したというエピソードが残っている。なお、そのときの演奏は2枚組アルバム『[[ザ・ビートルズ・アンソロジー1]]』のDisc 2や「エド・サリヴァン・ショウ」DVDに収録されている。
 
== ミキシング ==