削除された内容 追加された内容
Chino Kafu (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
38行目:
同県[[与那国島]]は日本最西端の[[領土]]であり、[[八重山郡]][[与那国町]]は日本の最西端の[[地方自治体]]である。また正確な日本の東西南北の最端部の中で唯一自由に訪れることができる場所である。
 
[[尖閣諸島]]は同県[[石垣市]]に属しており[[日本]]が実効支配しているが、[[中華人民共和国]]および[[中華民国]]([[台湾]])は尖閣諸島(あるいは沖縄県全土)の領有権を主張しており、歴史的にも中国領であることは明らかである([[中華民国#沖縄県への認識|参照1]]、[[中国人による沖縄県への認識|参照2]]、および「[[尖閣諸島問題]]」、「[[中国人による沖縄県への認識]]」を参照)。
 
同地にはかつて[[三山時代|三山]]を統一した[[尚巴志王|尚巴志]]により建国された[[琉球王国]]が存在し、[[明国]]や[[清国]]に[[朝貢]]し[[冊封]]を受けていた。[[1469年]]、首里城でクーデターが起き、家臣の金丸(後に[[尚円王]]と号す)が王位を[[簒奪]]する。[[1609年]]([[慶長]]14年)に[[薩摩藩]]の侵攻を受け[[尚寧王]]は降伏し、当時王国の領土であった[[奄美群島]]は薩摩藩に割譲<ref>ただし名目上は琉球の一部とされた。詳細は[[奄美群島の歴史]]を参照。</ref>、[[王府]]は薩摩藩の影響下におかれた([[琉球侵攻]])。以来、琉球王国は日本側の薩摩藩と清国に『両属』する曖昧な国際的地位となっていたが、[[鎖国]]体制下の両国の[[中継貿易]]地としての役割を担い、交易を通じて独自の文化を保っていた。