「1918年イギリス総選挙」の版間の差分

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| colour6 = ffdead
| party6 = w:National Democratic and Labour Party{{!}}国民民主労働党
| leaders_seat6 = [[w:en:Glasgow Gorbals (UK Parliament constituency)|グラスゴー・ゴーバルズ]]
| last_election6 = 新党
| seats6 = 13
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| after_party = 自由党 (イギリス){{!}}自由党連立派
}}
'''1918年イギリス総選挙'''(United Kingdom general election, 1918)は、[[第一次世界大戦]]後の[[1918年]][[12月]]に行われた[[イギリス総選挙]]。一般に、'''クーポン選挙'''(The coupon election)として有名<ref>[[:en:United_Kingdom_general_election%2C_1918|United Kingdom general election, 1918]]</ref>。ここでの「[[クーポン]]」("Coupon ")とは、デビッド・ロイド・ジョージが連立支持派の候補者に与えた「公認証書」を指す。同時にこの選挙は1900年選挙、[[1945年イギリス総選挙|1945年選挙]]と並ぶ[[カーキ選挙]]である。
 
== 背景 ==
[[画像:Herbert Henry Asquith.jpg|150px|thumb|ハーバート・ヘンリー・アスキス]]
[[画像:David Lloyd George.jpg|150px|thumb|デビッド・ロイド・ジョージ]]
前回[[w:en:United Kingdom general election, December 1910|1910年12月イギリス総選挙]]の結果、[[自由党 (イギリス)|自由党]]が第1党になったものの、[[保守党 (イギリス)|保守党]]と拮抗した。このため自由党は[[労働党 (イギリス)|労働党]]と[[アイルランド議会  (1297-1800)|アイルランド議会]]党の[[閣外協力]]を得て[[ハーバート・ヘンリー・アスキス]]を首班とする[[内閣  (イギリス)|内閣]]を成立させた。この内閣は大戦中に[[アイルランド]]議会党が[[アイルランド問題]]に不満を示し始めると不安定化し、アスキスは保守党を引き入れて内閣は[[挙国一致内閣]]に変更された。この後[[ガリポリの戦い]]や、[[ソンムの戦い]]の結果に不満が表れ始めると、敵性資産売却問題を契機に保守党議員の動揺として噴出し、挙国一致内閣の維持が難しくなった。このため自由党の陸相[[デビッド・ロイド・ジョージ]]はアスキスの追い落としにかかり、自派を率いて保守党と連立し内閣はロイド・ジョージ派と保守党の[[連立政権|連立内閣]]に変更された。この構図のまま休戦日直後に議会は解散された。即ち自由党は連立派であるロイド・ジョージ派と非連立派であるアスキス派に分裂して、8年ぶりの総選挙を戦う事になった。
 
== 概要 ==
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*[[ポピュリズム]]
*[[小泉劇場]]
 
{{イギリスの選挙}}
 
{{DEFAULTSORT:1918ねんいきりすそうせんきよ}}
[[Category:イギリス総選挙|1918]]