「マグネシアの戦い」の版間の差分

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|conflict=[[ローマ・シリア戦争]]
|date=[[紀元前190年]]
|place=[[マグネシア (小アジア)|マグネシア]]
|result=ローマの勝利
|combatant1=[[共和政ローマ]]
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== 戦いの経過 ==
アンティオコス3世は、両翼に[[カタフラクト|重装騎兵カタフラクトイ]]を配備していた。カタフラクトイは当時トップクラスの攻撃力を誇っており、攻めの時であればほとんど無敵であった。彼の作戦は、カタフラクトイを用いてローマ軍の騎兵隊をいち早く撃破し、[[カンナエの戦い]]のようにローマ軍を包囲・殲滅することであった。一方、ローマ軍はセレウコス軍を過小評価しており、ただ正面突破のことしか考えていなかった。
 
このまま戦いが始まれば、セレウコス軍の勝利は確実であっただろう。しかし、突然周囲に霧が生じ、戦場は全く見えなくなってしまった。視界が狭まったため、セレウコス軍の弓兵部隊はほぼ無力化されてしまった。これを利用し、ローマ軍右翼のエウメネスは[[クレタ]]軽装歩兵部隊に敵左翼を奇襲させた。この奇襲によってセレウコス軍の鎌戦車は自軍に突っ込んでしまい、セレウコス軍左翼は大混乱に陥った。
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[[Category:紀元前2世紀の戦闘]]
[[Category:紀元前190年]]
[[categoryCategory:セレウコス朝]]
[[categoryCategory:共和政ローマの戦闘]]