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== 歴史 ==
=== ゲイセリックとヴァンダル王国建国 ===
グンデリクの兄弟[[ガイセリック|ゲイセリック(ガイセリック)]]は、艦隊の建造を始めた<ref>松谷健二 (1995年) 43ページ</ref>。38歳のゲイセリックが王になった後の[[429年]]、[[ジブラルタル海峡]]を渡り<ref>同上松谷健二 49ページ</ref>、[[アフリカ]]沿岸を[[カルタゴ]]に向かって東方に移動しはじめた<ref>同上松谷健二 53ページ</ref>。当時のアフリカはローマ帝国にとって有数の穀倉地帯であり、100万人の人口を誇るカルタゴを擁していた<ref>同上松谷健二 44ページ</ref>。カルタゴはローマ帝国が保有する多数の軍艦が停泊する重要な海軍基地であり、地中海を隔てていたもののローマの南に位置してローマ帝国に軍事的圧力を加えるには有利な戦略的要地であった<ref>同上松谷健二 64-66ページ</ref>。[[435年]]に、西ローマ帝国は北アフリカのいくつかの領土を彼らに与えたが<ref>同上松谷健二 63ページ</ref>、[[439年]]、ヴァンダル族は自らカルタゴを占領した<ref>同上松谷健二 64ページ</ref>。
 
ゲイセリックはここにヴァンダル族と[[アラン族]](一部の[[サルマタイ|サルマタイ人]])からなる'''[[ヴァンダル王国]]'''を建国した。この王国はローマの艦隊を接収して強力な海軍を築いて地中海における一大勢力となり、[[シチリア島]]、[[サルデニア島]]、[[コルシカ島]]、[[バレアレス諸島]]を征服している<ref>同上松谷健二 67-74ページ</ref>。[[455年]]には、[[ローマ]]を占領し、{{仮リンク|ローマ略奪(455)|en|Sack of Rome (455)}}をおこなった<ref>同上松谷健二 75-82ページ</ref>。[[468年]]、ゲイセリックはヴァンダル王国を征服するために派遣された[[バシリスクス]]率いる東ローマ帝国艦隊を{{仮リンク|ボン岬半島の戦い|en|Battle of Cap Bon (468)}}で壊滅させた<ref>同上松谷健二 86-92ページ</ref>。[[477年]]、ゲイセリックは東ローマ帝国と平和協定を締結し、独立国家の国王として正式な承認を受ける。また、イタリア王オドアケルとも協定を締結して周辺国との安定した関係を築いた<ref>同上松谷健二 96-97ページ</ref>。外交政策で最終的な成果を出してまもなくゲイセリックは世を去る。
 
[[File:African kingdom ua.png|thumb|right|300px|ヴァンダル王国([[470年]])]]
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=== ゲイセリック以後 ===
ゲイセリックが死去するとその息子{{仮リンク|フネリック|en|Huneric}}([[477年]]-[[484年]])が50代を過ぎてようやく王となった。フネリックの治世には、[[マニ教]]や[[ミトラ教]]、そしてローマ系住民の大多数が信奉する[[カトリック教会]]への過酷な迫害があったことで有名である。マニ教やミトラ教は少数派の宗教だったため、目立った反対はなかったが、カトリック教会への迫害は毒にも薬にもなるリスクの高い政策だった。カトリック教会は富裕層の宗教で課税すれば優良な財源になるが、過酷な迫害を加えれば国王への支持を弱めるばかりか、東ローマ帝国との対外関係も悪化させる可能性があった<ref>同上松谷健二 108-111ページ</ref>。
 
フネリックは次の王に息子のヒルデリックがなることを望んでいたが、フネリックはカトリック迫害の結果、ひどく不人気であった。そこで王位継承問題で対抗勢力となりうる弟のテウドリックとその家族を粛清するなど非道な方法を駆使する。この間、後に王になるゲンセリックの次男ゲントの息子{{仮リンク|グンタムント|en|Gunthamund}}([[484年]]-[[496年]])は、混乱のさなかに逃亡して姿を暗ましていた。フネリックの政治は恐怖政治となっていた<ref>同上松谷健二 111-112ページ</ref>。しかし、フネリックは在位わずか7年にして世を去り、王位は嫡流のヒルデリックではなくゲントの次男グンタムントに継承された<ref>同上松谷健二 113ページ</ref>。グンタムントはカトリックへの迫害を止めてフネリックの恐怖政治を改めて国内融和を図るとともに東ローマ帝国との平和的な関係を実現しようとした<ref>同上松谷健二 113-114ページ</ref>。
 
=== ヴァンダル王国の衰退 ===
ゲイセリックの死によって、ヴァンダル王国の対外的な力は衰え出した。地中海情勢は変化していた。かつて乱世となっていたイタリア半島は[[東ゴート]]王[[テオドリック]]のもとに統率されしだいに安定を見せた。また、486年[[ガリア]]の西ローマ帝国旧領ソアソン管区が[[クロヴィス1世]]によって奪取された<ref>同上松谷健二 114ページ</ref>。大国となった[[フランク王国]]の躍進が始まっていく<ref>同上松谷健二 114ページ</ref>。
 
時代の変化に対して、ヴァンダル王国は[[ムーア人]]の反乱が相次ぐなど国内情勢が不安定で国内状況にも対外状況にも守勢に立たされるようになる。カトリック教会との関係は高位聖職者を復権させるなどヴァンダル側の軟化によって改善傾向にあった。グンタムント王は内政に関して賢明な妥協策を取っていたが、強硬策に出られる軍事政策で失敗を重ねた。[[東ゴート族]]によって[[シチリア島]]の大半を失い、また増大する[[ムーア人]]の侵入に押されている状況にあった<ref>同上松谷健二 115ページ</ref>。かつて武勇の国であったヴァンダル王国の尚武の精神はもはや過去のものであった。
 
[[ファイル:Europa in 526.png|thumb|right|350px|526年時点のヨーロッパ{{it icon}}<br />{{col|{{legend|#bfffbf|東ローマ帝国|border=1px solid #000}}{{legend|#e9f59e|フランク王国|border=1px solid #000}}{{legend|#e8ad71|ブルグント王国|border=1px solid #000}}|{{legend|#ff6262|東ゴート王国|border=1px solid #000}}{{legend|#fba2a2|西ゴート王国|border=1px solid #000}}{{legend|#acfdf9|ヴァンダル王国|border=1px solid #000}}}}]]
 
グンタムント王の没後、王位を継承したのは{{仮リンク|ゲント(ガイセリックの子)|en|Gento (son of Genseric)}}の三男で、先王の弟であった{{仮リンク|トラスムンド|en|Thrasamund}}([[496年]] - [[523年]])であった。トラスムンドは古典文化の素養を備えた教養人で、対外政策でも協調外交を模索し、国内ではカトリック教会に対して理解ある立場を示した<ref>同上松谷健二 116ページ</ref>。建国の祖ゲイセリックの侵略やフネリックのカトリック弾圧は時代に合うものではなかった。
 
イタリアを治める[[東ゴート王国]]と協調して領土紛争についての揉め事を解決し、共通の脅威であった[[東ローマ帝国]]や[[西ゴート王国]]に協力して当たるというのが両国の課題となっていた。トラスムンドは東ゴートの[[テオドリック]]王を盟友に選ぶ<ref>同上松谷健二 117ページ</ref>。507年、テオドリックは娘と[[西ゴート]]王[[アラリック2世]]の息子[[アマラリック]]の後見人となっていた。そのテオドリックの妹{{仮リンク|アマラフリーダ|en|Amalafrida}}をトラスムンドは妻に迎えて、[[東ゴート]]、[[西ゴート]]の両勢力と縁戚同盟を形成した。さらにテオドリックは[[クロヴィス1世]]の妹を娶り、娘を西ゴート王国や[[ブルグンド王国]]に嫁がせて[[ゲルマン]]大同盟を築いていた<ref>同上松谷健二 117-118ページ</ref>。アマラフリーダは持参金として[[アフリカ]]にとっての戦略拠点[[シチリア]]西部を持って嫁いだ。かの地はグンタムント王の出兵において奪われた土地であった。東ゴート王国からヴァンダル王国に領土返還がなされたのである<ref>同上松谷健二 117ページ</ref>。
 
{{main|テオドリック|東ゴート王国}}
 
トラスムンドの政治は盤石なものに見えた。しかし、トラスムンドと東ゴート王国との関係はしだいに悪化した。トラスムンドは東ゴートの国防への協力を出し惜しんだのである。東ローマ帝国がイタリア南部に出兵した際、トラスムンドは艦隊を派遣して敵を撃退しなかった。また、西ゴート王国の内乱では東ゴート王国に対立する武将を支援するなど公然と利敵行為を働いた<ref>同上松谷健二 118-119ページ</ref>。これがヴァンダル王国の外交上の孤立を招いていく<ref>同上松谷健二 119-120ページ</ref>。[[東ローマ帝国]]では[[アナスタシウス1世]]が世を去り、[[ユスティヌス1世]]が帝位に就いた。新帝はカトリック保護を打ち出し、周辺国の宗教紛争に介入の姿勢を見せた。東ローマは[[フン]]王国の脅威も去り財政状況も好転しはじめ軍の再強化を進めていた。東ローマによる地中海再征服の機運が次第に高まっていた<ref>同上松谷健二 122ページ</ref>。トラスムンドは[[ムーア人]]の反乱に対する内地の要塞を強化した他、港湾を拡張して国の備えを固めた。[[カルタゴ]]にローマ・ゲルマン様式の宮殿を造営したり[[ローマ浴場]]を復旧するなど文化面での発展を促したトラスムンドであったが<ref>同上松谷健二 123ページ</ref>、後継者に恵まれず、トリポリタリアのムーア人による地方反乱にも鎮圧に失敗するなど王国の軍事力の陰りは明らかで<ref>同上松谷健二 120-121ページ</ref>、以後の代で内憂外患はさらに深刻となった。
 
フネリックの子{{仮リンク|ヒルデリック|en|Hilderic}}王(在位[[523年]]-[[530年]])は、王位をついに射止めたが60代を過ぎすでに老齢に達していた<ref>同上松谷健二 123ページ</ref>。彼は先のローマ占領の際に連れてこられた[[西ローマ帝国]]の皇女エウドキアの血を引いていたため最もカトリック教会寄りの王であったが、カトリックを弾圧して王族の粛清をなすなど恐怖政治を強いたフネリックの子であったため政治的なイメージが悪く、民衆の支持を得られなかった<ref>同上松谷健二 126ページ</ref>。ヒルデリックは戦争にはほとんど興味がなく、身内の[[ホアメル]]({{lang-en-short|Hoamer}})に任せていた<ref>同上松谷健二 124ページ</ref>。外交に関しては意欲的に東ローマ寄りの外交政策を推進した。しかし、東ゴート王国から先王に嫁いだアマラフリーダが外交の障害となっていた。そのため、アマラフリーダを反乱罪を理由に殺害するなどの挙に出ている。妹を殺されたテオドリック王は怒り、ヴァンダル王国と東ゴート王国の関係はこの一件を契機に悪化の一途となった<ref>同上松谷健二 126ページ</ref>。530年、ホアメルがムーア人との戦争に敗北すると<ref>同上松谷健二 124-125ページ</ref>、王家の一部が反乱を起こし、トラスムンド王の甥[[ゲリメル]](在位[[530年]]-[[533年]])が王位に就いた。ヒルデリックやホアメルらは牢獄に入れられた<ref>同上松谷健二 132ページ</ref>。
 
=== ヴァンダル王国の滅亡 ===
[[File:Vandalic War campaign map.png|thumb|right|300px|ヴァンダル戦争と東ローマ軍進軍路]]
 
かねてよりローマ帝国の復興を企図していた東ローマ帝国の皇帝[[ユスティニアヌス1世]]は、西ローマ帝国の血を引くヒルデリック王が倒されたことを口実にヴァンダル王国に対する戦争([[ヴァンダル戦争]])を開始し、[[サーサーン朝]]ペルシャとの戦いで活躍した[[ベリサリウス]]将軍を派遣した<ref>同上松谷健二 135ページ</ref>。ゴダスという西ゴート系の将軍がゲリメルを見限り[[サルデニア島]]で起こした反乱の鎮圧のためにヴァンダル王国の艦隊のほとんどが北へと出帆してカルタゴ近海を離れていた<ref>同上松谷健二 136ページ</ref>。そのことを知ったベルサリウス将軍は、敵艦隊の間隙を突いて迅速に移動して首尾よく[[チュニジア]]に上陸を果たした<ref>同上松谷健二 141ページ</ref>。
 
[[533年]]晩夏、ゲリメル王はカルタゴの南10マイルの所でベリサリウス将軍と戦った。[[アド・デキムムの戦い]]として知られる両国の戦いにおいて、ヴァンダル王国軍は敵を包囲しようとしたが、各隊の連携が取れずに失敗し、逆にベリサリウス軍の各個撃破を受けることになった。前衛部隊はフン族の兵士と平原で激突したがもろくも粉砕された。後続のゲリメル部隊は少しでも有利に立とうと高所を確保して敵を迎え撃ったが、逃亡する敵をすぐさま追撃することができず、態勢を立て直したベリサリウス軍に敗れた<ref>同上松谷健二 146-147ページ</ref>。ベルサリウスは、残党と戦う一方で、ゲリメルが放棄したカルタゴを夜が明けるのを待って無血占領した<ref>同上松谷健二 149ページ</ref>。[[533年]]12月15日、カルタゴから20マイルほどのトリカマルムで再び両軍は会戦した<ref>同上松谷健二 155ページ</ref>。この[[トリカマルムの戦い]]でもヴァンダル軍は敗れ、戦闘の最中にゲリメルの兄弟ツァツォは討ち死にしてしまった<ref>同上松谷健二 156ページ</ref>。ベルサリウスはすぐさま、ヴァンダル王国第二の都市ヒッポに軍を進めた<ref>同上松谷健二 157ページ</ref>。[[534年]]、ゲリメルは降伏し、ヴァンダル王国は滅亡した<ref>同上松谷健二 166-168ページ</ref>。
 
{{main|ヴァンダル戦争|アド・デキムムの戦い|トリカマルムの戦い}}