「シャリーア」の版間の差分

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=== 棄教の禁止 ===
前近代においてはほとんどの学派が、イスラーム法においてイスラームからの離脱は死刑に処されるべきとしてきた。[[ハナフィー学派]]のみは女性の改宗者の場合終身禁固とするべきとしている。近代においても、[[イスラム教における棄教|棄教]]への処罰を廃止しようとする改革派の解釈は浸透せず、保守派の解釈が今なお主流である。
 
棄教者への死刑は、預言者の言行録(ハディース)にある、ムハンマドが棄教者の殺害を命じたという記述に由来する<ref>[[ブハーリー]]の[[ハディース]]集成書『真正集』「聖戦」第149節2項、「背教者と反抗者に悔い改めを求めること、および彼らと戦うこと」第2節1項など</ref>。同時にクルアーンでは「宗教に強制はあってはならない」としている<ref>クルアーン第2章256節</ref>ため、棄教者ではなく、イスラームに改宗しない者へは本来寛容である。
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{{see also|ムスリムと非ムスリムとの婚姻}}
 
イスラーム法上、ムスリム男性は[[啓典の民]]に属する[[ユダヤ教|ユダヤ教徒]]・[[キリスト教徒]]女性と自由に結婚でき、また啓典の民に準ずる存在としてそれ以外の信仰を持つ女性とも結婚できるのが通例である。ただしこれはムスリム男性にそのような結婚が許されているというだけのことであり、現実には結婚に当たって改宗を求める男性も少なくない。女性は非ムスリムとの婚姻は決して許されず、発覚した場合双方[[姦通]]として死刑である
 
女性は非ムスリムとの婚姻は決して許されず、発覚した場合双方[[姦通]]として死刑である。
 
=== イスラム教国内での非ムスリムの自由・財産・生命の権利の制限 ===
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=== 奴隷制度 ===
{{see also|イスラームと奴隷制}}
シャリーアには奴隷に関する規定があり、奴隷制度自体を肯定している。
預言者ムハンマド自身が奴隷を所有していたこともあり、奴隷所有者を悪人と断ずればムハンマドが悪人だったことになってしまうため、現代でも奴隷制度を悪と明言されていない。このため、イスラム教国では奴隷制度の廃止はかなり遅く、最後に廃止された[[モーリタニア]]では1980年まで奴隷制度が存続していた。
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イスラム社会で欧米的な農奴制が始まったのはエジプトがイスラムに征服されて[[ナイル川]]流域の肥沃な土地が手に入って征服されたエジプト人が農奴となってからで、このシステムは西へと伝わって行き[[モーリタニア]]が最西端となっている。気候的な事情からエジプトの農奴制が[[シナイ半島]]より東に逆流することはなかった。
アラビア半島では早い時期に奴隷売買そのものが縮小していったが、エジプトから東のアフリカ大陸北部地域を征服したイスラムはアフリカ大陸北部の住民を奴隷としてヨーロッパ人に売りさばき、その多くが[[アメリカ大陸]]へ輸出されていった。このため、イスラム教国でもシナイ半島を境に奴隷制度そのものが大きく異なる。
 
=== 女性 ===
{{see|イスラームと女性}}
 
=== 児童婚 ===
{{see|イスラームと児童性愛}}
 
=== 宗教警察===
{{see|ムタワ}}
 
== 脚注 ==