「瀋陽市」の版間の差分

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[[1910年]]([[宣統]]2年)には承徳県が廃止され、県域は奉天府の直轄とされ、[[1912年]]([[中華民国暦|民国]]元年)、[[辛亥革命]]により清朝が滅亡すると、2月に'''承徳県'''と改称されたが、河北省に同名の[[承徳県]]が存在したことから5月には'''瀋陽県'''と改称された。
 
[[19世紀]]後半以降、それまで[[漢民族]]の移動が認められなかった[[満州|満洲]]が、[[ロシア帝国]]の[[南下政策]]に対抗すべく、禁地政策が解禁され開発が急速に推進されると、瀋陽は地域の中心としての役割を担うようになった。[[1903年]]には[[東清鉄道]]南満州支線が完成してロシア帝国の勢力下に入り、[[日露戦争]]中の[[1905年]]、[[奉天会戦]]の舞台となる
 
=== 中華民国 ===