「曽根城 (美濃国)」の版間の差分

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== 概要 ==
後述の[[華渓寺]]所蔵の「濃州曽根古城跡図」によれば、本丸の東に二の丸があり、内堀と外堀、城下町を囲む惣堀を備え、家老屋敷、侍屋敷、町屋などが並んでいたとみられる<ref name="taikei">{{Cite book |和書 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |year=1979 |title=日本城郭体系 |publisher= 新人物往来社|volume=9 |page=418 |id= |isbn= }}</ref>。本丸は1000坪、二の丸を含めると4,000ないし5,000坪の規模だったと推定されている<ref name="taikei"/>。
 
== 歴史 ==
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== 春日局との関係 ==
* [[春日局]]の父は[[明智光秀]]の重臣であり甥(実際には従弟)とも言われる[[斎藤利三]]で、母は稲葉良通(一鉄)の娘である。後に[[稲葉正成]]の妻となっている。
* [[華渓寺]]に伝わる古地図には、[[斎藤利三]]の住居が記載されている。娘の春日局もこの地で誕生したという説もあるが、利三は当時、主君の[[明智光秀]]に従い、[[丹波国]]の[[黒井城]]にいる。
 
== 所在地 ==
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== 現在 ==
* 本丸址には現在'''[[華渓寺''']]という寺院がある。この寺は、稲葉一鉄が母親の菩提寺として建立した寺である。[[1734年]]([[享保]]19年)にこの地に移転した<ref name="taikei"/>。
* 1989年の発掘調査の結果、石垣、土塁などが発見されている。これらは保存のため埋め戻され、地上に復元されている<ref>大垣市・大垣市教育委員会による現地説明板による。</ref>。
* 当地出身の[[江戸時代]]の[[漢詩|漢詩人]][[梁川星巌]]とその妻紅蘭を記念した、[[梁川星巌記念館]]がある。