「蟬しぐれ」の版間の差分

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== 概要 ==
'''[[海坂藩]]'''<ref group="注">作者創造による架空の藩。[[庄内藩]]がモデルとされる。</ref>を舞台に、政変に巻きこまれて父を失い、家禄を減らされた少年'''牧文四郎'''の成長や、彼を慕う武家の娘との淡い恋を描く。そして、物語の節目節目に、蝉しぐれが鳴り響く。
 
初出は冒頭に記述のように、1986年(昭和61年)7月9日に連載を開始した「山形新聞夕刊」とされる<ref name="yamagata-np"/><ref name="公式" />。挿絵を[[山本甚作]]が描いた<ref>[http://www.semishigure.jp/html/picture.html 山本甚作氏画で見る物語]、映画『蟬しぐれ』公式ウェブサイト semishigure.jp, 2010年2月18日閲覧。</ref>。正確な初出には異論があり、「[[秋田魁新報]][[朝刊]]」には「1986年7月9日」よりも「9日」早く、「1986年6月30日」に連載がスタートしているという<ref name="コラム">『「蟬しぐれ」コラムⅠ - 日本で最初の読者』、『「蟬しぐれ」と藤沢周平の世界』所収、[[オール読物]]責任編集[[文春ムック]]、[[文藝春秋]]、2005年9月30日、p.12.</ref>。全国12紙には[[学芸通信社]]が配信し、連載された<ref name="コラム" />。
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== 執筆時の所感 ==
蝉しぐれ執筆時、書いても全く面白くならず苦痛であった、またその思いが読者に伝わったのか、ファンレターも一通も来なかった、しかし、それが一冊の本となった時、読み応えのある作品になったことが、新聞小説の不思議であると著者の藤沢は記している。<ref>三友月報 平成三年八月十五日号「新聞小説と私」</ref><ref>藤沢周平全集 第二十三巻</ref>
しかし、それが一冊の本となった時、読み応えのある作品になったことが、新聞小説の不思議であると記している。<ref>三友月報 平成三年八月十五日号「新聞小説と私」</ref><ref>藤沢周平全集 第二十三巻</ref>
 
== あらすじ ==
15歳の牧文四郎は、市中の剣術道場と学塾に通い、親友である小和田逸平や島崎与之助との友好を温めながら、隣家の娘小柳ふくに淡い恋心を抱いている。そんな平凡な日々がおだやかに過ぎてゆく中、父である助左衛門が、お世継ぎをめぐる政争にまきこまれて突然切腹させられる。残された文四郎は家禄を28石から7石に減らされた上、母、登世と共に普請組屋敷から葺屋町の長屋に移される。また、ふくは藩主の正室に奉公するために江戸に向かう。旅立つ直前、ふくは文四郎に会いに来たが、結局会うことはかなわない。
{{不十分なあらすじ|date=2018年3月}}
 
小説の冒頭で文四郎は15歳。市中の剣術道場と学塾に通い、ひとつ年上の小和田逸平や同い年の島崎与之助と仲がよく、また隣家の娘'''ふく'''に不思議と心を引かれ、すこしずつ大人になりつつある年頃である。平凡な日々がおだやかに過ぎてゆくなかで、お世継ぎをめぐる政争が表面化し、これに関与していた養父助左衛門は切腹を命ぜられる。
罪人の子とさげすまれる中で、文四郎は鬱屈した気持ちを剣術修行にぶつけ、めきめきと腕が上達する。そして、松川道場との対抗試合で勝利した結果、師である石栗弥左衛門が考案した秘剣村雨を、唯一の伝承者である加治織部正を通して伝授される。
 
その頃、与之介が文四郎に、ふくは藩主の手が着いて側室お福となったこと、子を身ごもったが流産したこと、それが側室おふねの陰謀らしいことを語る。その後、学問を修めるために江戸に向かった与之介は、ふくが藩主の寵愛を失ったと手紙で知らせてくる。
 
文四郎が秘剣村雨を伝授された前の年、家老の里村に呼ばれ、家禄を28石に戻し、郡奉行支配となる旨を告げられる。20歳の時には、正式に郷村出役(でやく)見習いに任じられ、岡崎せつを妻に迎える。
 
その後、里村家老と、彼が属する派閥の領袖である稲垣に、欅御殿に潜むふくの息子を里村の屋敷に連れてくるようにとの密命を受ける。ふくは藩主の寵愛を失って暇を出されたはずだったが、それはおふね一派に対する偽装工作であり、ふくは藩主の子を宿していたのである。罠の臭いを感じた文四郎は、逸平や剣術の友である布施と共に欅御殿を訪れ、ふくに事の次第を説明して、共に稲垣派と対立する横山家老の屋敷に脱出するように願う。その時、稲垣派の襲撃隊が屋敷を襲ってくる。襲撃隊を退けた文四郎は、ふく親子と共に横山家老の屋敷に向かうが、稲垣派の警戒が厳しかったため、急遽加治織部正を頼ることにする。その結果、横山派が稲垣派を押さえて藩政の実権を握ることになる。この時の功績により、また父助左衛門の過去の功績が認められ、文四郎は30石が加増される。
 
それから20数年後、ふくを寵愛した藩主が亡くなって1年近くたったある日、助左衛門の名を受け継ぎ郡奉行となっていた文四郎は、突然ふくから呼び出しを受ける。そして、懐かしく言葉を交わした後、二人は肌を合わせる。この後出家するというふくと別れた後、彼女と結ばれたことへの後悔と満足の入り交じった思いを抱きながら、耳を聾するばかりの蝉しぐれが響く中、文四郎は馬を駆けさせる。
 
== 登場人物 ==
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: 18歳の正月に、道場の席次が5位となる。同年3月、里村[[家老]]の屋敷に呼ばれ、家禄を28石に戻した上、[[郡代|郡奉行]]支配となる旨を告げられた。この時点では葺屋町の長屋からは引っ越さず、郷方<ref group="注">[[海坂藩]]では[[郡代|郡奉行]]の支配下にある役職。通称村回り。村々を巡回して、年貢を決定するための基礎資料として、稲や植林した木の生育を調べる仕事。</ref>組屋敷に移ったのは同じ年の12月だった。同年の秋、松川道場との対抗[[奉納]]試合で興津新之丞に2勝1敗で勝利し、石栗弥左衛門が考案した秘剣村雨を、唯一の伝承者である加治織部正を通して伝授されることとなった。
: 20歳の正月、正式に郷村出役(でやく)見習いに任じられて、城の[[郡代]]屋敷に出仕するようになった。同年2月、岡崎せつと結婚。
: 21歳の時、里村[[家老]]に呼び出され、里村が属する派閥の領袖である元[[中老]]の稲垣と里村に、欅御殿に潜むふくの息子を里村の屋敷に連れてくるようにとの密命を受ける。罠の臭いを感じた文四郎は、逸平と布施と共に欅御殿を訪れ、ふくに事の次第を説明して、共に稲垣派と対立する横山[[家老]]の屋敷に脱出するように願う。その時、村上七郎右衛門が率いる稲垣派の襲撃隊が屋敷を襲ってきた。襲撃隊を退けた文四郎は、ふく親子を一時避難させていた金井村村役人藤次郎宅から、横山の屋敷に向かったが、里村稲垣派の警戒が厳しかったため、急遽加治織部正を頼ることにした。その結果、横山派が稲垣派を押さえて実権を握ることになる(以下、本稿ではこの事件を「欅御殿事件」と呼ぶこととする)。この時の功績により、また父助左衛門の過去の功績が認められ、30石が加増された。
: 欅御殿事件から20数年後、助左衛門の名を受け継ぎ、郡奉行となっていた文四郎は、突然ふくから呼び出しを受ける。