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===アッバース朝以後===
ウマイヤ朝では、ワリードが死ぬと、子の[[ウマル2世 (ウマイヤ朝)|ウマル2世]]が継いだが、彼の治世は文治政策で後世の史家の評判は良い。その後は、短命だったり暗愚なカリフが相次ぎ、ウマイヤ朝が元来、その構造に抱えた問題(シリア優先主義、アラブ人と改宗者(マワーリー)の不平等)の為に、相変わらずに反乱は頻発した。最後の君主、マルワーン2世は、首都を[[ユーフラテス川]]上流のハルラーンに移し、反乱の大部分を鎮定し、再発防止にシリア諸都市の城壁の撤去を行った。
 
こうして、ウマイヤ朝は自らの手で本拠地シリアに破壊の手を加えてしまい、直後に起きたアッバース家の反乱にあえなく敗れ去った<ref>前嶋信次『世界の歴史8-イスラム世界』河出書房新社、1989年、pp.168-171</ref>。政権の移行は大きな体制の変化を伴ったため、これを[[アッバース革命]]という。