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'''ドイツ革命'''(ドイツかくめい、{{lang-de-short|Novemberrevolution}}, {{lang-en-short|German Revolution of 1918–19}})は、[[第一次世界大戦]]末期に、[[1918年]][[11月3日]]の[[キール (都市)|キール軍港]]の水兵の反乱に端を発した大衆的蜂起と、その帰結として[[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]が廃位され、[[ドイツ帝国]]が打倒された[[革命]]である。ドイツでは'''11月革命'''とも言う。
 
これにより、第一次世界大戦は終結し、ドイツでは[[間接民主制|議会制民主主義]]を旨とする[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]]が樹立された。また、革命の指導者の[[クルト・アイスナー]]、[[ローザ・ルクセンブルク]]、[[エルンスト・トラー]]、[[オイゲン・レヴィーネ]]らがユダヤ人であったことから、ドイツ革命に反発した民族主義の右翼は、共産主義者とユダヤ人による「[[背後の一突き]]」でドイツを敗北へと導いたとする見方を広め、革命後のヴァイマル共和国では[[反ユダヤ主義]]が高まっていった<ref name="p-416-434"/>。
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== その後のドイツ社会への影響 ==
[[File:INF3-61 Ernest Bevin Artist Arthur Boughey.jpg|thumb|250px|[[第二次世界大戦]]末期のイギリス外相[[アーネスト・ベヴィン]]{{Squote|[[第一次世界大戦|先の世界大戦]]後に、[[ドイツ皇帝|カイザー]]の体制を崩壊させなかったほうが、われわれにとってはよかったと思う。ドイツ人を[[立憲君主制]]の方向に指導したほうがずっとよかったのだ。彼らから象徴を奪い去ってしまったがために、ヒトラーのような男をのさばらせる心理的門戸を開いてしまったのであるから。――[[1945年]]7月、於[[ポツダム会談]]<ref>{{Cite news|url=https://synodos.jp/society/21460|title=立憲君主制の国、日本――カイザーの体制を崩壊させなかったほうが・・・|author=[[君塚直隆]]|accessdate=2018年4月30日}}</ref>}}]]
{{See|反ユダヤ主義#ヴァイマル共和政 (1919年 - 1933年)}}
ドイツ革命により帝政が打倒され、共和国が樹立されたが、ドイツを世界大戦に導き、軍国主義を積極的に支えてきた帝国時代の支配層である軍部、独占資本家、[[ユンカー]]などは温存された。彼らの後援による極右勢力、右翼軍人らの共和国転覆の陰謀、[[クーデター]]の試みは右から共和国と政府を揺さぶり、一方、極左党派は左から社会民主党の「[[社会主義]]と労働者への裏切り」を激しく攻撃した。これら左右からの攻撃がヴァイマル共和国の政治的不安定さの一因となった。