「李尚勲」の版間の差分

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同年はシーズン途中からの出場でありながら、7勝2敗18[[セーブ]]、[[防御率]]1.68でチームの[[韓国シリーズ]]進出の立役者になるも、2勝3敗で迎えたシリーズの第6戦、3点リードの9回裏に登板して、[[李承ヨプ (野球)|李承燁]]に同点の3ランホームランを打たれ降板。そして、彼の後を継いで登板した崔元豪(チェ・ウォンホ)がすぐさま[[馬海泳]](マ・ヘヨン)にサヨナラホームランを打たれ、チームはそのまま敗退。韓国シリーズでのサヨナラ負けは史上初の出来事でもあった。
 
翌{{by|2003年}}4勝4敗30セーブの成績を挙げたが、球威の低下によって、救援失敗も増えてきて防御率は3.34と昔のような安定感は失っていた。このような危惧の中で迎えた{{by|2004年}}のキャンプで、趣味である音楽活動(正確にはキャンプへの[[ギター]]の持ち込み)を巡って監督と対立。その結果として[[SKワイバーンズ]]に[[トレード]]されるも、不調によりシーズン途中の6月7日に[[引退]]してロック歌手へ転向し、「WHAT!」というバンドのギタリストとして韓国で活動していた[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=96362&servcode=600%C2%A7code=620]またソウルで理髪店などを経営していた。
 
金髪と長髪が特徴だったが、2012年秋、LG在籍時の監督だった[[金星根]]の誘いで独立球団[[高陽ワンダーズ]]の投手コーチに就任した際に剃った。ワンダーズの解散に伴い、[[2015年]]は[[斗山ベアーズ]]の二軍投手コーチを務め、[[2016年]]より古巣LGツインズの二軍・三軍の投手アカデミーの担当となった。