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[[1582年]]([[天正]]10年)頃、[[豊臣秀吉]]から[[大坂城]]の外壕を[[掘削|掘鑿]]した功労および[[猫間川]][[河岸]]整備に対する賞として、城南の地を拝領した。[[1612年]]([[慶長]]17年)、城南の開発には河川の堀鑿が必要と考えた道頓は、[[豊臣氏]]の許可を受け、私財を投じて城南地域中心部の水路(後の道頓堀)の堀鑿に着手した。堀鑿中の1615年(元和元年)、[[大坂の陣|大坂夏の陣]]に巻き込まれ、秀吉の遺児・[[豊臣秀頼]]に味方して入城、大坂城内で討死した。
なお、水路の堀鑿は、道頓の死後、[[松平忠明]]の許可を受けて道頓の従兄弟の[[安井九兵衛
== 成安氏 ==
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