「白川方明」の版間の差分

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白川方明は、[[日本銀行]]副総裁就任後直ちに総裁職の代行を務めたが、日銀総裁の空席による総裁代行の立場が長期間続くと、総裁代行という立場では内外の経済問題への対処が難しくなる恐れが指摘された。この間、[[モルガン・スタンレー証券]]の[[ロバート・フェルドマン]]経済研究主席は、日銀総裁人事などの重要案件には「特定の基準に照らして開かれた議論」が望ましいと主張し、中央銀行マン・官僚・財界人ら19人を「[[マクロ経済学]]と独立性」「政策決定機関のトップをつとめた経験」「国内外のネットワーク」の3指標で採点した結果を「次期日銀総裁 -- 候補者を比較する」と題する調査報告書として発表した<ref>英文は3月25日、和文は翌26日に公表、英国[[フィナンシャル・タイムズ]]紙2008年4月3日号に紹介記事。</ref>。
 
最も評価が高かったのは、[[小泉純一郎]]内閣で経済財政担当相や金融相などを歴任した[[竹中平蔵]]と、日銀出身で金融研究所所長や[[経済協力開発機構]] (OECD) の副事務総長を務めた[[重原久美春]]で、武藤は「マクロ経済学と独立性」で17位、ほかの二つの基準で18位にとどまり、田波はいずれの基準でも最下位であった<ref>[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-JZ1NW10YHQ1V01.html 日銀総裁空席、FRBに救われた日本株-人事で争う「幼稚」な政治(2)]Bloomberg 2008年4月9日</ref>。こうして、特に海外では[[重原久美春]]の日銀総裁就任を待望する声が高まったが、結局、既に総裁職務代行者であった白川が国会の同意を得て、2008年(平成20年)4月9日に、第30代日銀総裁に就任した。日銀総裁空白期間は20日間であった。2011年(平成23年)1月からは、[[国際決済銀行]] (BIS) 副議長に就任。日本人のBIS副議長就任は、[[1939年]](昭和14年)に[[加納久朗]]横浜正金銀行(現三菱東京UFJ銀行)ロンドン支店支配人が就任して以来のことで、日銀総裁としては初めてであった。
 
2013年(平成25年)2月5日、同年4月8日の総裁任期の5年満了を待たずして、3月19日付で日本銀行総裁を辞職することを表明した<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0502J_V00C13A2000000/ 白川日銀総裁、3月19日で辞任 副総裁任期に合わせ前倒し] 日本経済新聞 2013年2月5日閲覧</ref>。