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== 概説 ==
一般に字を書くのは自分のための記録と、他人が読むことを前提とする場合がある。自分のためであれば、自分が読めればよいから、悪筆であっても何ら問題はない。ただし、そのときは読めても、あとになると自分でも読めないという話もある。また、本人にとっては自分用であっても、後に他人が読みたい、という場合もある。たとえば有名人の[[日記]]はその対象になり得る。[[南方熊楠]]の日記の解読は現在も努力が続けられている。
 
他方、他人に読ませることを目的とする場合は、そもそも読めないのでは目的を達せないから、普通は読めるような字を書く努力をするものである。しかし、読んでさえくれればよい、しかも、読ませる方の力が強い場合はその限りではない。たとえば有力な作家の場合、編集者が読めればよいのであって、悪筆でもよい作品が描ければいいのだから、悪筆の例もある。[[石原慎太郎]]、[[黒岩重吾]]、[[田中小実昌]]、[[川上宗薫]]は“悪筆四天王”と評されているという。石原の場合、まともに読みこなせる人は数少なく、そのために印刷所の植字工に原稿を専門に読む「慎太郎係」というのが存在したという話がある<ref>筒井(1975),p.135</ref>。