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2003年、「やっぱ好きやねん」がバックに流れ[[川藤幸三]]がCM出演した『大阪ソウルバラード』(全15曲のうち5曲がたかじんの歌が収録されている「やっぱ好きやねん」「生まれる前から好きやった」「なめとんか」「大阪恋物語」「あんた」)が[[阪神タイガース]]の18年ぶりの優勝に猛進していることも相まって15万枚の売り上げを記録した。
2007年6月9日に行なわれた、当時
2007年11月16日にやしきたかじん携帯公式サイト「発禁!?たかじん新聞」の「熱唱!!やしきたかじん」というコーナーで、本格的な歌手活動に向けてのハワイでのトレーニングの模様を収めた映像を公開するという形で歌手活動を再開した(歌唱した曲目は「見えない糸」「東京」「[[ICHIZU]]」「[[もしも夢が叶うならば]]」「Fly me to the moon」「[[やっぱ好きやねん]]」。またダイジェストで「エゴイズム」「なめとんか」も歌っている)。
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1994年に[[アサヒビール]]の関西限定[[ビール]]「生一丁」のCMに出演。「あけまっせ!」「これやがな!」の[[台詞]]が受け、同製品が爆発的なヒットとなる。
さらに1985年、[[
[[放送禁止用語]]や[[放送局]]の出入り禁止や、[[名誉毀損]](後述)も恐れないストレートな発言(友人であろうとも容赦なく批判する)で、テレビ・ラジオの[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティー]]としても関西では不動の地位を誇り、全レギュラー番組が高[[視聴率]]を誇ることから「'''浪速(関西)の視聴率男'''」<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG177G4YG17PTFC015.html やしきたかじんさん死去 64歳、歌手・テレビ司会] 朝日新聞2014年1月8日、2014年1月12日観覧</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140107/waf14010722560038-n1.htm 〝浪花の視聴率男〟やしきたかじんさん死去 食道がんで休養中] 産経新聞・2014年1月7日、2014年1月12日観覧</ref>(関西の高視聴率男とも<ref>[http://www.47news.jp/CN/201401/CN2014010701002161.html タレントやしきたかじんさん死去 歌手 関西の高視聴率男][[47NEWS]]2014年1月8日、2014年1月12日観覧</ref>)と呼ばれた。本人は自著の中で「僕を視聴率男と呼ばないで」と記しているが、これまでに数多くの番組をヒットさせた。
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訃報を受けて、たかじんと親交のあった多くの音楽・芸能関係者、さらには内閣総理大臣[[安倍晋三]]や大阪市長[[橋下徹]]ら政治家など、多くの各界著名人が追悼のコメントを発表した<ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/20140108/oth14010805060011-n1.html 辛坊氏、たかじんさん悼む「信じたくない」…芸能界から悲しみの声] サンケイスポーツ 2014年1月8日閲覧</ref>。遺作となった『その時の空』を作曲した小室は、たかじんの復帰に向けて、自身の曲・秋元の詞によるニューシングルの制作を準備していたことを[[twitter]]で明かした<ref>[http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20140109/enn1401091211020-n1.htm たかじんさん、新曲用意していた… 小室哲哉&秋元康氏のコンビで] - ZAKZAK2014年1月9日(2014年1月11日確認)</ref>。
生前に多数の冠番組およびレギュラー番組を放送してきた毎日放送では、訃報が伝えられた翌日(同月8日)に、
死後、たかじんが残した膨大なメモや3人目の妻の看護日記と証言などを元に、[[百田尚樹]]が取材し執筆したノンフィクション本『[[殉愛 (百田尚樹)|殉愛]]』が[[2014年]][[11月7日]]に[[幻冬舎]]から発行された<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/11/07/kiji/K20141107009238370.html たかじんさん闘病全容が明らかに…最後の741日、百田尚樹氏が描く],スポーツニッポン,2014年11月7日</ref><ref>[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20141106-OHT1T50327.html たかじんさん遺言本「殉愛」で初公開32歳下の妻語る] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20141107034444/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20141106-OHT1T50327.html |date=2014年11月7日 }},スポーツ報知,2014年11月7日</ref>。この本の出版を受け、たかじんと最初の妻の間に産まれた41歳の長女は11月21日に名誉毀損・プライバシー侵害の廉で発行元の幻冬舎に対し、同書の出版差し止めと1100万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こした。長女は自身の生活に誤った認識を与える可能性がある、長女とたかじんの間に確執があったように書かれている、長女がたかじんに金銭を求め続ける一報でたかじんに冷たい態度を取り続けるなど非常識な人物であるかのように書かれている、一部の遺族(再婚した妻側)の主張を無批判に受け入れた内容である、事実に反する虚偽の記述で名誉と感情を傷つけられたとし、また百田は長女をはじめとする親族に取材などをしなかったとしている<ref>{{cite web | url = http://www.sankei.com/affairs/news/141121/afr1411210022-n1.html | title = やしきたかじんさんの長女、出版差し止め求め提訴 晩年を百田尚樹氏が描いた「殉愛」 - 産経ニュース | publisher = 産経ニュース | date = 2014-11-21 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20141121094541/http://www.sankei.com/affairs/news/141121/afr1411210022-n1.html | archivedate = 2014年11月21日 | accessdate = 2014-11-22 }}</ref><ref>{{cite web | url = http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/11/21/kiji/K20141121009326110.html | title = たかじんさん長女が提訴 百田尚樹氏の「殉愛」差し止め請求 ― スポニチ Sponichi Annex 芸能 | publisher = スポニチアネックス | date = 2014-11-21 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20141121182630/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/11/21/kiji/K20141121009326110.html | archivedate = 2014年11月21日 | accessdate = 2014-11-22 }}</ref><ref>{{cite web | url = http://www.yomiuri.co.jp/national/20141121-OYT1T50127.html | title = たかじんさん長女「殉愛」出版差し止め求め提訴 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) | publisher = YOMIURI ONLINE | date = 2014-11-21 | archivedate = 2014年11月21日 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20141121183008/http://www.yomiuri.co.jp/national/20141121-OYT1T50127.html | accessdate = 2014-11-22 | deadlinkdate = 2018年3月 }}</ref><ref>{{cite web | url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20141121-1399175.html | title = たかじんさん長女、百田氏著書差し止め訴え - 芸能ニュース : nikkansports.com | publisher = 日刊スポーツ | date = 2014-11-21 | archivedate = 2014年11月21日 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20141121103725/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20141121-1399175.html | accessdate = 2014-11-22 }}</ref><ref>{{cite web | url = http://mainichi.jp/select/news/20141122k0000m040089000c.html | title = たかじんさん:描写で名誉毀損 長女が本販売中止など提訴 - 毎日新聞 | date = 2014-11-21 | archivedate = 2014年11月21日 | publisher = 毎日新聞 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20141121184005/http://mainichi.jp/select/news/20141122k0000m040089000c.html | accessdate = 2014-11-22 | deadlinkdate = 2018年3月 }}</ref>。
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=== 朝日放送幹部との対立 ===
[[朝日放送グループホールディングス|朝日放送(ABC)]]では、1980年代後半から1990年代前半まで、『聞けば効くほどやしきたかじん』(ラジオ)のメインパーソナリティや『晴れ時々たかじん』(テレビ、いずれも生放送番組)の司会者として視聴者・リスナーから人気を博した。しかし、後述する関係者の発言などで心証を害したことから、『晴れ時々たかじん』の終了後はレギュラー番組を持たなかった。
『聞けば効くほどやしきたかじん』では、当時[[必殺シリーズ|『必殺』シリーズ]]
『晴れ時々たかじん』では、視聴率が低迷していた開始当初に、馴染みの鉄板焼屋で旧知の[[乾浩明]](当時のアナウンス部長)と遭遇。前々番組の『[[ワイドショー・プラスα]]』シリーズで長らく司会を務めてきた乾に対して、「いやー、視聴率が全然上がりません。番組やめたほうがよろしいですかね?」と相談したところ、乾から「そやそや、君には荷が重すぎるんやで。早よ辞めた方が君のためやで」と冗談交じりで忠告された。この忠告に対して、たかじんは「乾を見返してやる!」と奮起。結果として、同番組の視聴率を(平日午後の番組としては)異例の高さにまで押し上げた<ref>『たかじんが来るぞ!』第III章「ぼくを視聴率男と呼ばないで」pp.90 - 92</ref>。しかし、たかじんの意向で放送を終了した直後の慰労パーティーにおいて、[[朝日新聞社|朝日新聞]]出身の幹部が挨拶の中で「なぜこんな番組が視聴率を取るのかわからない」と発言。この発言に激怒したたかじんは、この幹部のような朝日新聞出身者への反感を抱くあまり、長らく
=== ラジオ大阪の番組とは無縁 ===
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=== 生放送のレギュラー番組を極力持たない ===
1990年代まで生放送番組に出演していたが、1998年3月に『たかじん生JINJIN』
『[[そこまで言って委員会|たかじんのそこまで言って委員会]]』が熊本地区で20%超の高視聴率を獲得したことを記念して、[[辛坊治郎]](読売テレビ解説委員)と共に2007年7月9日に[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]のローカルワイド番組『[[テレビタミン]]』に生出演し、2008年4月10日放送の『[[なまみつ]]』に[[桂ざこば (2代目)|桂ざこば]]とともに番組中に乱入して出演した。同年8月、[[タカアンドトシ]]の冠番組『[[タカアンドトシのどぉーだ!]]』([[北海道文化放送]]の番組で『胸いっぱい』とは重複時間も発生する番組)にもゲスト出演している。
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* [[プリンスホテル]]の[[ディナーショー]]で従来通りのディナーショーしか出来ないという理由でキャンセルするも、ホテル側が違約金600万を要求した。これにたかじんが「上等やないか」とホテルに乗り込み「600万でええんやな。ディナーショーやめさせてもらうわ」と札束を投げ出し帰った。これにホテル側が慌て対応策を出し、かろうじてディナーショーを開催することができた。他にも今は無き[[ホテルプラザ]]で[[ボーイ]]の態度が気に入らないとの理由でディナーショーをキャンセルしたことがある。
* 北新地の本通りでストリートライブを見ていたたかじんが「下手じゃ!」とストリートミュージシャンを殴り、ギターを取り上げ、ストリートライブを始めだした。それからしばらくして、偶然、[[金村義明]]が通りかかったのを見つけると「金村、こっち来んかい!」と呼びつけ、「お前も金出せ!」と1万円を出させた。その後、たかじんと金村でたかじんのデビュー曲『ゆめいらんかね』のサビの部分を10分ほど延々と歌っていた。たかじんが泥酔していたためサビの部分しか思い出せなかったという。最終的にチップが30万円くらい集まり、そのストリートミュージシャンに全額渡して帰っていった。
* レギュラーラジオ番組であった『[[ハローナショナルショールーム]]』([[MBSラジオ|毎日放送]])にゲストとして[[ECHOES]]がプロモーションで出演した際、ボーカルの[[辻仁成]]の番組に出演しておきながら質問されても無視し、何を訊かれても「CDを買ってもらえれば分かりますよ」としか答えないなど、全くやる気のない受け答えや横柄な態度に番組が進行しなくなってしまい、最初は下手に出ていたたかじんと出演者であった[[泰葉]]がついに激怒。泰葉がたかじんに「やっちゃいな!」と言い放ち、たかじんは録音を止めさせて、「そんなんやったらわざわざここへ来んと、CDだけ売っとったらええやろ!」と譜面台を投げつけ一喝、会場は騒然となった。が、聴衆はむしろ拍手で応えたという。泰葉は番組収録後、たかじんに感謝の意を伝えた。後に語ったたかじんの言い分は、「喋るのが嫌やったら[[FM]]に出ろ! ここは[[AM]]じゃ!」というもの。ただし、「リーダーはどう思いますか?」というたかじんの質問に、辻が何も答えなかったことも怒りの原因の一つだが、[[ECHOES]]のリーダーはドラムの今川なのに、たかじんが辻をリーダーだと勘違いしていたという、たかじん側の落ち度もあった。この件に関して、「あの時(25歳)の自分は若かった。たかじんさんの檄を胸に刻み、今は初対面の人には礼儀正しく挨拶するようにしています」という辻の反省と感謝の弁が、2014年11月8日放送の「[[たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜]]」で流れた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/11/08/kiji/K20141108009249220.html 辻仁成 たかじんさんとの“確執”謝罪&感謝「人生のいい喝」] スポニチアネックス 2014年11月9日閲覧</ref>。
* 2009年10月26日の[[京都会館]]第1ホールでのコンサートで、8曲目の「なめとんか」を歌い終わり、喋り始めるや否や舞台下手から転落し、肋骨3本を骨折、膝を強打し、膝に血と水が溜まる重傷を負った。なお、同年12月14日に同会館で追加公演を行ったが、これが生涯最後のコンサートになった。2002年11月8日での同会館でも、[[細木数子]]ネタを披露中に舞台から転落している。しかも、過去に転落したことを喋っている最中に転落した。過去では、和歌山のコンサートで初めて転落したのを機に、神戸のディナーショーなどで転落している。
* 「大阪恋物語」をぜひ[[コブクロ]]に歌ってほしいとノートに綴っており、コブクロが2014年の夏フェス「大阪の陣400年音楽祭」にてカバーを披露することによって実現した。<ref name="dailysports201409270007371439">{{Cite web|url=http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/09/27/0007371439.shtml|title=コブクロ たかじんさんヒット曲熱唱|publisher=デイリースポーツ|date=2014-09-27|accessdate=2014-09-27}}</ref>
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* [[たかじんミュージックランド]]([[毎日放送]])
* たかじんの明日パラHOUSE([[中京テレビ放送|中京テレビ]])
* たかじん・円の二人は怪しいミュージシャン([[
* たかじん・円の爆笑宣言!(関西テレビ)
* [[晴れ時々たかじん]]
* [[新・たかじんが来るぞ]](毎日放送)
* [[たかじんnoばぁ〜]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
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* [[たかじんONE MAN]](毎日放送)
* takajin..come たかじんの「そこまで言って委員会」(読売テレビ)- 2002年5月26日、8月17日、12月22日(たかじんのそこまで言って委員会の前身番組)
* おやじと、娘と、たかじんと。 - 2002年6月9日、2003年1月5日
* たかじん生放送!勝手にしやがれ日曜日!!(毎日放送)- 2003年9月14日
* [[ムハハnoたかじん]](関西テレビ)
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* 歓楽街行進曲(毎日放送)
* ほっとタイム10時です!(関西テレビ)
* [[YOUごはんまだ?]](
* お昼だドン(テレビ大阪)
* BK芸能チャンネル(NHK)
* 浪花座ごきげんライブ
* 夜はオンリー・ユー
* [[ナイトinナイト]]水曜日(朝日放送)
* ワイドショーWHO「男の井戸端会議」(関西テレビ)
* [[新伍のわがまま大好き]]
* [[おばちゃん1000万円!!]](毎日放送・TBS系)
* [[Beアップル2時!]](読売テレビ)
* サムシング・ナウ([[TBSテレビ|TBS]])
* [[ニュースウェーブ]]
* [[M10 (テレビ番組)|M10]]([[テレビ朝日]])
* [[テレビ近未来研究所]](TBS系)
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=== ラジオ番組 ===
* [[MBSヤングタウン]]([[MBSラジオ|毎日放送]]) - 1977年10月〜1979年3月(桂三枝(現・六代桂文枝)のアシスタントとして出演)、1981年4月〜1983年3月(メイン格で出演)
* ビアンカ・ミュージック・シティー
* [[日本列島ズバリリクエスト]](近畿放送ラジオ) - 1978年1月〜1979年1月20日
* 三枝のゲラゲラカンパニー
* [[ハンド・イン・ハンド ミッドナイトパーティー]](MBSラジオ) - 1979年4月〜1981年3月
* キング・ポップス専科(
* 電撃わいど・ウルトラ放送局([[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ関東]]) - 1980年4月〜不詳
* ザ・ミュージック・タウン([[東北放送]]) - 1980年10月〜1981年3月
351行目:
* ウィークエンド・イングス(MBSラジオ) - 1981年〜1984年12月
* 電話大好きKYU-KAN-CHO(MBSラジオ、ナイターオフ編成)- 1983年10月〜1985年3月
* 土曜おはようワイド・文珍のおもしろラジオ
* 日産[[ポップ対歌謡曲]]
* [[それゆけ!]]火曜やしきたかじん(MBSラジオ) - 1985年4月〜10月、1988年4月〜10月
* [[ハローナショナルショールーム]](MBSラジオ) - 1985年10月〜1987年4月
* 昼めし歌謡曲(MBSラジオ) - 1985年
* [[ハイヤングKYOTO]](KBS京都) - 1985年10月〜1987年3月
* [[聞けば効くほどやしきたかじん]]
* サタデーたかじん〜午後は一気に
* たかじんのぶっつけ本番
* [[そこまで言うか! 熱血!正義の60分]](ニッポン放送) - 1992年10月〜1993年3月
* [[たかじん生JIN JIN]](MBSラジオ) - 1995年4月〜1998年3月
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* [[桂文枝 (6代目)|六代桂文枝]]
* [[堀内孝雄]] - 桃山学院高校時代の同級生。かつて同じ事務所に所属し、たかじんのライブなどにゲスト参加する事もある旧知の仲だった。また、20代後半の頃、東京・ニッポン放送の廊下で再会した際「いま[[アリス (フォークグループ)|アリス]]やってるねん」と近況を話した堀内に対して、まさか同級生が当時売り出し中のグループのメンバーであるとは思いもしなかったたかじんは、堀内がアダルト向け書籍のアリス出版で働いているものと勘違いし「お前ええ歳してもう少し真面目な仕事せんかぁ!!」と説教をした。
* [[桂ざこば (2代目)|桂ざこば]] - プライベートで親交があり、最高の親友であったが、一時期不仲になった時期があった。ざこばが朝丸だった当時、[[サンケイホール]]で行われる予定だった2代目桂ざこば襲名記念講演が中止となり、たかじんがその日の[[
* [[桂南光 (3代目)|桂南光]](「晴れときどきたかじん」の後継者として南光を指名。一晩中かけて口説き落とした)
* [[桂雀々]]
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