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スクリーンでは、東宝映画『歌え太陽』をスタートとして、『花くらべ狸御殿』『銀座カンカン娘』『ターキー銀座を歩く』など、主にミュージカル的な歌謡映画に数多く出演している。「立教出身者で固めよう」と自身が企画した映画『歌う野球小僧』は、[[上原謙]]、[[笠置シヅ子|笠置シズ子]]らの共演により成功し、大ヒットした主題歌「[[野球小僧 (曲)|野球小僧]]」は野球好きな灰田のテーマソングともなった。
 
昭和20年代後半に入っても、「[[アルプスの牧場 (曲)|アルプスの牧場]]」では見事な[[ヨーデル]]を披露し大ヒット、その後も「水色のスーツケース」「新橋駅でさようなら」とヒットが続く。この頃、野球選手の[[別所毅彦]]、大相撲の[[東富士]]、俳優の[[鶴田浩二]]らと義兄弟の契りを交わし映画『四人の誓い』に出演して話題となる。
 
[[民間放送|民放ラジオ]]が設立されると、放送における[[コマーシャルソング]]が盛んに作られたが、その第一号である[[コニカ|小西六フィルム]](現・[[コニカミノルタ]])の「僕はアマチュアカメラマン」を歌ったのも彼であった<ref group="注釈" name=CM_song>[[塩野義製薬]]の「ペンギンの歌」もしくは[[精工舎]]([[服部時計店]]:現・[[セイコーホールディングス]])の時報メロディを第一号とする説もある。詳細は[[コマーシャルソング]]を参照。</ref>。初期の[[NHK紅白歌合戦]]の常連大物歌手の一人でもあり、計6回出場している(詳細は下記参照)。第3回([[1952年]])と第7回([[1956年]])では白組のトリを務めた。