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=== 車体 ===
[[File:Jnr.kuha86065.jpg|right|thumb|200px|クハ86065(先頭)<br />モハ80形200番台(中間2両)<br />クハ86形300番台(最後尾)]]
基本的共通事項として、乗降を円滑にするため3等車は1 [[メートル|m]]、サロ85形は700mm700 mm幅の片開き片側2ドア客用扉と車端部[[デッキ]]を採用する。
 
当初からの構造的特徴として、[[台枠#鉄道車両の台枠|台枠]]のうち台車心皿中心間で[[竜骨 (船)|船の竜骨]]に相当する中梁を簡素化し、車体側板と接する側梁を強化することにより梯子状の台枠構造全体で必要な[[強度]]を確保しつつ軽量化を図っていた点が挙げられる。これは[[1930年]](昭和5年)製造の16m16 m車([[湘南電気鉄道デ1形電車]]→[[京浜急行電鉄]]デハ230形電車)で[[川崎重工|川崎車輛]]の設計により採用されたのが日本の高速電車における初出であるが、その先進的軽量化設計の意義を合理的な強度計算手法を含め理解しようとしなかった無理解な[[鉄道省]]の担当官による硬直的な対応{{refnest|group="注釈"|湘南電気鉄道による設計認可申請後、担当官からは「中央緩衝連結器ヲ有シ殊ニ床下ニ相当重量ノ電気器具機械類ヲ懸垂スル車輛ニ於テ中梁ヲ側梁ヨリ小ナル材料ヲ使用シ且ツ各横梁部毎ニ切リ「ガセットプレート」ニテ続キ合ワセタル構造ハ妥当ナラザルヲ以テ相当強度ヲ有スル通シ材料ノ中央梁ニ改ムル事」との照会が発せられた。照会という体裁を取りながら何の数値的根拠も示さず、またその設計の意図や根拠を問うことをせず、ただ「妥当ナラザル」と決めつけて前例に従った形への設計の変更を強要したものである<ref>鉄道ピクトリアルNo.501 P.80。</ref>。}}で増備車では中梁装備への退行を強制され<ref group="注釈">デ1形の設計認可時には様々な事情から特認が与えられたが、担当官はその付帯条件として以後の増備車での中梁設置を義務付け、この設計手法の援用を禁止した。</ref>、以後[[太平洋争]]後に至るまで約20年にわたり顧みられていなかった手法である。本系列ではかつて鉄道省の担当官が「妥当ナラザル」として禁止したこの設計手法を、その後身である日本国有鉄道の工作車両局自らがより長く重い20m20 m級車両で採用したものである。以後、この設計手法は後続の[[国鉄70系電車]]や[[近鉄2250系電車]]をはじめとする各私鉄の新造車など、[[モノコック|張殻(モノコック)]]構造の設計手法が導入されるまでの時期に設計製造された日本の鉄道車両で積極的に用いられる一般的な軽量化手法として広く普及した。
 
初期の半鋼製車では窓の高さが客車や従来の電車よりも若干高い位置とされた。引き続き改良も実施されており、客室天井の[[ベンチレーター|通風器]]が初期車での大型[[砲金]]製風量調節機能付から、2次車では製造コスト低減のため皿形の簡素なものになるなどの変更点もある。客席屋上の通風器は製造期間中3回にわたって形状変更され、試作形通風器(モユニ81003・004に取付)を含めると計5種類に分類できる。
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なお、設計変更も含む大改良のため以下の[[番台区分]]も実施された。
 
; 100番台(クハ86形・サハ87形)・200番台(モハ80形)
: [[1956年]](昭和31年)・[[1957年]](昭和32年)の[[東北本線|東北]]・[[高崎線]]用及び東海道線用増備車。
:* 耐寒設計の導入
:* 座席間隔と座席幅を拡大
:* 側窓枠を木製から[[アルミニウム合金|アルミ合金]]製に変更
:* 屋根布を雨樋直上から張るように変更し、それ以前の張り上げ屋根(ただし雨樋位置は下部)を中止。
:* 客席屋上通風器を大型の箱型に変更。ただし、1957年度増備車ではサロ85形を除き小型の千鳥配置に再変更。
:* サロ85形は番台区分未実施だがバランサー付きの1段下降窓に変更(85030 - 85035)
 
; 300番台
: 1957年(昭和32年)・1958年(昭和33年)製の最終増備車。東京 - [[名古屋駅|名古屋]]間といった長距離区間を走行する[[準急列車]]への投入も考慮された設計変更が施され、当時最新鋭であったナハ11形などの[[国鉄10系客車|10系客車]]に準じた軽量構造車体が採用された。
:* セミ・[[モノコック]]構造の全金属車体の採用
:* 車体側面窓上下の[[ウィンドウ・シル/ヘッダー]]を廃して窓も大型化
:* 客用扉下部の[[プレスマーク加工]]を廃して平滑化
:* 内装の完全金属化と当初から[[蛍光灯]]照明を採用
:* サロ85形に専務車掌室・[[車内販売]]用控室の設置
:*1958 1958(昭和22)年度製クハ86形は運転席側乗務員扉後位に折り畳み式の梯子状手摺を設置
 
=== 車内設備 ===
[[File:Jnr-Moha80001-3 inside.jpg|thumb|200px|right|モハ80001の車内]]
客室内装も当初は戦前同様に[[木構造 (建築)|木製]]で照明も[[白熱電球|白熱灯]]を採用。客車同様の[[鉄道車両の座席#クロスシート(横座席)|クロスシート]]、両端のみ通勤利用も考慮し[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]とし、座席下には[[電気暖房 (鉄道)|電気暖房]]を搭載する。
* [[国鉄32系電車|32系]]・[[国鉄52系電車|52系]]などの戦前製2扉長距離電車でのデッキなしドア両側ロングシートと比較すると、より長距離での運用を意識した設計である。
 
クロスシートは座席のシートピッチ(前後間隔)を従来の客車より縮め、座席数を増やして定員を拡大するとともに通路幅を800mm800 mmに広げた。
* 初期車では有効空間を拡大するため座席背ずりの上半分に[[モケット]]が張られていなかったが(しかも物不足から不心得者がモケットを切り裂いて持ち去る風潮に対抗するため、当初は当時の[[工部省|「工」の字]]の国鉄マークを織り込んだ特製モケットを張っていた)、アコモデーションの面では不評で、2次車からは背ずり全体に(柄のない通常の)モケットを張る改善が実施された。
 
[[列車便所|トイレ便所]]はデッキ側から出入りする構造として、客室との遮断を図り、臭気漏れ対策や他の乗客の視線を受けない配慮がなされた。また、従来の鉄道車両のトイレ便所は床板に和式便器が埋め込まれ、配管等は床上に露出した構造だったが、配管の破損や床の汚損が絶えなかったため、階段状の段差を作り段上に和式便器を埋め込み、配管等は段の内側に隠す構造が初めて採用された。この様式は80系が嚆矢となり一般家庭のトイレ便所にまで採用されるようになった。当初、考案者である当時の国鉄工作局長「島秀雄」の頭文字を採り、この様式の事を「S式便器」と呼んでいた。
* [[連合国軍最高司令官総司令部|進駐軍]]関係者など外国人の利用を考慮しサロ85形初期車では[[便器#腰掛大便器(洋式・洋風大便器)|洋式]]としたが、当時の日本人乗客には洋式便器の使用法を知らない者が多く汚損・破損や故障が頻発したため、2次車のサロ85006以降は[[便器#和式大便器(和風大便器)|和式]]となった。
 
=== 主要機器 ===
[[鉄道車両の台車|台車]]・[[主電動機]]・[[主制御器]]などは、[[戦時設計]]ながら戦後も大量増備されていた[[国鉄63系電車|63系]][[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]に[[1947年]](昭和22年)以降試験搭載され改良を重ねて来た新技術が活かされている。そのシステムは、1950年(昭和25年)時点の国鉄における最新・最良の内容といえるものである。
 
大出力主電動機搭載の長所を活かし、当初は編成内[[MT比]]2:3で[[起動加速度]]1.25km25 km/h/s<ref group="注釈">電車としては低いが、客車列車に比較すれば飛躍的な性能向上であった。</ref>とする経済編成を基本とし、通常運転の最高速度は95 [[キロメートル毎時|km/h]](後年は[[幹線]]区で100km100 km/h)・設計最高速度は110km110 km/hとした。なお1955年(昭和30年)には東海道本線での速度試験でMT比4:1の特別編成が、125km125 km/hの最高速度を記録している。
 
==== 主電動機 ====
当時の国鉄電車用として最強の[[制式名称|制式]]電動機であるMT40<ref group="注釈">端子電圧750V750 V時1時間定格出力142kW142 kW、定格回転数870rpm(870 [[rpm (単位)|rpm]](全界磁時)・1,100rpm(60100 rpm(60 %界磁時)。</ref>を搭載する。
* MT40は、戦前からの標準型主電動機のMT30<ref group="注釈">端子電圧675V675 V時1時間定格出力128kW128 kW、定格回転数780[[rpm (単位)|rpm]](rpm(全界磁時)・1,005rpm(60005 rpm(60 %界磁時)。</ref>をベースに[[絶縁体|絶縁]]強化・冷却風洞装備などの改良を施したもので、[[公称電圧|端子電圧]]差<ref group="注釈">戦前の鉄道省時代には、送電時のロスによる[[電圧降下]]を1割と見込んで架線電圧を直流1,350Vとし、モーターを2個直列で使用することを前提に端子電圧を675Vとして主電動機の設計を行っていた。戦後は逆に[[変電所]]から送り出す段階でその降下分を見込んで最大で1,650V程度までの範囲で昇圧した状態で給電し、架線経路中での降圧により架線から集電する段階で定格の直流1,500Vとなるように変更された。</ref>を考慮すると額面上の実質性能はMT30とほぼ同等であるが、冷却機構の強化などで信頼性が向上していた。
 
駆動装置は従来どおり吊り掛け駆動方式を採用し、[[歯車比]]は同じMT40を装架する63系通勤形電車の2.87に対し高速性能を重視した2.56とした。これにより[[定格#鉄道車両における定格速度|1時間定格速度]]は全界磁時56.0km0 km/h、60 %弱界磁で70.0km0 km/hとなった。
 
==== 主制御器 ====
19491949(昭和24)年度製造の初期形では設計開発が間に合わず、戦前から長らく国鉄標準機種であったCS5A電空[[カムシャフト|カム軸]]式[[主制御装置器]]を暫定的に搭載した。
 
19511951(昭和26)年度製造車からは、63系での試作開発結果<ref group="注釈">1945年(昭和20年)より研究が開始され1948年(昭和23年)より東洋電機製造CS100A(直列6段・並列5段・短絡渡り・逆回転)、日立製作所CS101(直列6段・並列5段・短絡渡り・一方向回転)・CS102(直列7段・並列6段・橋絡渡り・一方向回転)・[[川崎重工業]]CS103(直列6段・並列5段・短絡渡・、一方向回転)の3社4種制御器を試作し3年にわたり運用試験を実施。その結果を反映して制式化設計が実施された。</ref>を受けて開発されたCS10電動カム軸式制御装置に変更された。
 
CS10は、CS5に対して以下の相違点を有する。
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* 直並列切替時には主回路上に接触器を一旦挿入し、わたり動作中の電動機の引張力変化を最小限に抑制する[[主制御器#橋絡渡り|橋絡渡り]]を導入。この結果切替ショックを大幅に軽減した。
* CS5では焼損事故が発生した場合に発火による被害が制御器本体にまで及んでいた内蔵[[断流器]]をCB7あるいはCB7A[[遮断器]]として別筐体に格納するように変更。故障時の被害を最小限に抑えることが可能となった。
* CS9AあるいはCS11<ref group="注釈">19521952(昭和27)年度予算で発注されたグループ以降に採用。</ref>界磁弱め接触器を付加し、高速域での速度性能向上に加え[[電気車の速度制御#弱め界磁制御|弱め界磁]]と起動減流抵抗による減流起動を組み合わせることで、衝動が小さくスムーズな起動を可能とした<ref group="注釈">弱め界磁起動機能そのものは1949年(昭和24年)の80系1次車用CS5Aで初採用。</ref>。
 
制御段数は直列7段・並列6段・並列弱め界磁1段で弱め界磁率は60%である。
 
さらに1952年(昭和27年)以降製造グループでは、並列弱め界磁段を2段構成とし弱め界磁率を60 %と75 %の2段切り替えとした改良型のCS10Aに変更、高速域での走行特性が改善された。
 
クハ86形・クハ85形・クモユニ81形の主幹制御器([[マスター・コントローラー]])は、いずれも[[ゼネラル・エレクトリック]]社製C36の[[デッドコピー]]品で戦前より国鉄電車の標準機種であったMC1系のMC1Aを搭載する。
 
==== 台車 ====
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===== 初期形 =====
[[File:Dt16.jpg|thumb|right|200px|DT16形台車]]
; [[国鉄TR23形台車#派生形式|DT16]](モハ80形)
: DT16は新開発の高速運転用[[鋳鋼]]台車である。旧呼称TR39Aが示すように、1948年(昭和23年)ごろから63系で採用が始まっていた扶桑金属(現・[[新日鐵住金]])製ウィングばね式[[国鉄TR37形台車|DT14 (TR37) ]]・軸ばね式DT15 (TR39)という軸箱支持機構の構造を違えた鋳鋼台車2種類<ref group="注釈">これらは側枠・トランサム・端梁の3種の鋳鋼製部品をボルト組み立てする構造で共通し、側枠の軸箱部周辺を除きほぼ同一設計である。なお両形式ともに側枠とトランサムを結合する[[ボルト_(部品)#ボルトの種類|リーマボルト]]の頭部を納めるための開口部が側枠中央部に設けられ、それぞれ途中で設計変更されているが、この設計変更内容も共通(独立した丸穴を4×2×2=16カ所設けていたものを、横に長い楕円穴1つで丸穴2つ分に代えることで2×2×2=8カ所とした)である。</ref>の使用実績を受け、DT15を基本として改良を加えたものである。
:* DT15からの改良点は乗り心地改善のため軸ばねの大容量化<ref group="注釈">これに伴いばね帽部の側枠からの飛び出し量がDT15に比して増大し車体の床に食い込んで見える外観となった。</ref>・側枠そのものの軽量化<ref group="注釈">肉厚を減らして必要な部分に限って補強用ひれを設けトランサム固定ボルト穴群の左右外側それぞれに角を丸めた三角形の肉抜き軽め穴を開口するなど必要強度を確保しつつ可能な限りの軽量化が行われた。</ref>の2点である。
: 設計は戦前[[鉄道省]]標準であった「[[国鉄TR23形台車|ペンシルバニア型]]台車に由来し、ペデスタル部の摺動で軸箱の前後動を拘束しつつ上下動を案内し、また軸箱直上に置かれたコイルばね1組で軸箱を弾性支持する機構を備える点はそれ以前の国鉄電車用台車と同様である。だが、台車枠が一体鋳鋼製となって[[剛性]]が飛躍的に向上したことで高速運転により適した特性の追求が可能となり、また長距離運転用ということで特に軸[[ばね定数]]が見直され、軸ばねを従来よりも背の高いものに変更してたわみ量を大きくとることで乗り心地の改善が図られた。
 
; TR43・TR45(クハ86形・サハ87形)
; TR43A・TR45A(サロ85形)
: 鋼材組立台車で、従来20m20 m級国鉄電車の標準型台車であったDT12 (TR25) や一般向け客車用標準台車であった[[国鉄TR23形台車|TR23]]の流れを汲むペンシルバニア型鋼材組み立て・ペデスタル支持軸ばね構造を採用する。DT16に比して構造面でやや時代遅れの面が見られるが、ローラーベアリング化などの改良が実施されており、従来の長距離運用において問題視されていた軸受の[[け付つき]]といった不都合はない。
;* 当時の主力国鉄客車であった[[国鉄オハ35系客車|オハ35形]]などのペンシルバニア型TR34でもローラーベアリングは標準的に採用されており、客車列車の電車化という本系列の設計概念を考えるとごく自然な選択である。
:
: なお、1951年には小改良を施されたTR45・TR45Aに変更された。
 
===== 1952年以降 =====
; [[国鉄DT17形台車|DT17]](モハ80形)
: 枕ばねを重ね板ばねからコイルばねに変更して揺動特性を改善した新型鋳鋼台車。DT16を基本としつつ側枠・トランサム(横梁)・端梁を一体とした一体鋳鋼台車枠を採用し、揺れ枕の枕ばねを複列配置のコイルばね + [[ショックアブソーバー|オイルダンパ]]で置換え、側枠の外側に配置することでコイルばねの高さを十分に確保し、なおかつ揺れ枕吊りのリンク長さも最大限に延伸して左右動の揺動周期を拡大している。
 
; TR48(クハ86形・サハ87形)
; TR48A(サロ85形)
: 付随台車でも同様にコイルばね + オイルダンパを枕ばねに採用。一体鋳鋼台車枠の側枠部分が軸箱周辺で跳ね上がった軽快な外観を持つ。
:* TR48・TR48Aは完成度の高さから、以後300番台の最終増備に至るまで付随台車として継続採用<ref group="注釈">TR48の後継としてDT20Aの付随台車版である仮称TR51も設計されたが、メーカー各社の製造技術の差異や供給能力を勘案して付随台車は鋳鋼製の本台車が継続採用となった。</ref>された。
 
===== モハ80形200番台・300番台 =====
[[File:Seibu-el-e34DT-20A.JPG|thumb|200px|right|DT20A台車]]
; [[国鉄DT20形台車#派生形式|DT20A]]
: 台車枠を[[プレス加工|プレス]]成型部材の[[溶接]]組み立て式とし、ゲルリッツ式近似の軸ばね構造<ref group="注釈">ゲルリッツ式は[[第二次世界大戦]]前に[[ドイツ国|ドイツ]]で開発された高速運転対応台車で、2段リンクで長い重ね板ばねを吊り下げた枕ばね部分を特徴とし、これと軸箱直上の板バネをウィングばねで支持する機構を併用する構造となっており、日本でも戦前に[[国鉄スハ32系客車|32]][[国鉄オハ35系客車|35系客車]]にで試験が実施された。DT20で採用された上天秤ウィングばね方式は、このゲルリッツ式の一方の特徴であった軸箱直上の板ばねによるイコライジング機構を単純な天秤に置換えたもので、もう一方の特徴である枕ばね部の機構は[[ホイールベース]]が極端に長くなる(一般に3m3 m前後となる)ことが嫌われ採用されていない。</ref>を採用する台車である。
:* 軸ばねと枕ばねのたわみ量について振動解析が行われ、軸ばねを柔らかく、枕ばねを硬く設定する従来の経験則に基づく組み合わせから、解析結果に基づいて双方のたわみ量を均等とする設定に変更され乗り心地が改善された。
: 国鉄旧形電車用台車の最終発展形と言える性能の優れた台車であったが、構成部品が多く高コストな上、直後に開発された新性能電車には、別途新構想に基づく[[国鉄DT21形台車|DT21]]系台車が開発されたために少数の製造に留まった<ref group="注釈">元々は老朽化の著しい[[国鉄TR10形台車#派生形式|DT10]]装備のモハ30・31の交換用台車としても使用できるよう設計されたもので、それゆえ軸距 (2(2,450mm)450 mm)などの基本寸法はDT10と揃えられ、側受も新車用と旧形車用の2カ所を選択可能な様に設計されていた。しかし旧形車の台車については[[電装]]解除による主電動機の撤去で負荷重量が減ったことで制御車へ転用する延命が行われて解決が図られたため代替を要しなくなり、この結果DT20Aは本系列の他に70系300番台・72系920番台などの旧形国電最終期の新造車に限定して採用される結果となに留まった。20132018年(平成30現在では、[[西武鉄道]]から[[大井川鐵道]]に譲渡された[[西武E31形電気機関車|E31形電気機関車]]に飯田線で最後まで運用されていたモハ80形300番台の廃車発生品が流用されて現存する。</ref>。
 
===== 試作台車 =====
本系列では車両メーカー各社による試作台車の試用が行われた。以下でその詳細について解説を行うが、これらいずれも試験終了後標準のDT16・TR43に交換された。
 
; [[川崎重工業車両カンパニー|川崎車輛]][[川崎車輌OK形台車|OK-4]](銘板ではOK-IVと表記 国鉄形式DT29)
: モハ80014に装着。63系 (OK-1) やオロ41 6 (OK-2) で先行試用されていた軸梁式台車の改良型。軸梁の支持基部を側枠に強固に固定して直進安定性の確保を最優先とした。本系列での試用後に[[国鉄クモヤ93形電車|クモヤ93000]]へ転用され、試作のMT901電動機を装架の上で[[狭軌]]での[[鉄道に関する世界一の一覧#速度|世界最高速度記録]](当時)となる175km175 km/hを達成した台車そのものである。
 
;[[三菱重工業|新三菱重工業]][[三菱重工業MD形台車|MD3]](国鉄形式TR38)
:クハ86007・サハ87010・サハ87012に装着。63系などでの試用が行われていた軸梁式台車。ただし上述OK-4とは大きく異なり、MD3では軸梁支持腕を支える基部を[[トーションバー]]を介して側梁と柔結合することで、軸梁部に上下動だけでなく左右動も許容する構造となっており、直進安定性に加えて曲線通過も円滑にする設計意図が明確に示されていた。
 
==== ブレーキ ====
長大編成電車に適合させた[[自動空気ブレーキ]]の「AERブレーキ」<ref group="注釈">自動空気ブレーキの開発元である[[ウェスティングハウス・エア・ブレーキ|ウェスティングハウス・エアブレーキ]]社 (WABCO) 流の命名ルールでは、A動作弁 + 中継弁 + 電磁給排弁の組み合わせの場合は空気制御系を優先して「A'''RE'''ブレーキ」と呼称されるのが通常である。だが国鉄では戦前から試用していたAEブレーキに新たに中継弁を付加した、という実用化の経緯からかRとEの順序を逆転させて呼称を用いた。AMA(ACA・ATA)-REブレーキなどとも通称される。</ref>を国鉄の量産車として初めて採用した。戦前から一部の車両を使って実用試験が繰り返されて来た、[[電磁弁|電磁空気弁]]('''E'''lectro-pneumatic valve)<ref group="注釈">その機能から電磁給排弁あるいは電磁同期弁、電磁吐出弁もしくは単に電磁弁などとも呼ばれる。</ref>付きの「AEブレーキ」を基本として開発されたものである。
* 従来国鉄電車・客車で標準的に用いられて来た「'''A'''動作弁」による「Aブレーキ」<ref group="注釈">国鉄では客車用はAVブレーキ装置と呼称。A動作弁は鉄道省の標準的な客車用自動ブレーキ弁として、日本エヤーブレーキ(現・[[ナブテスコ]])がWH社製U自在弁の利点を取り入れつつ[[1928年]](昭和3年)に開発したもので、のち電車・[[気動車]]にも採用され、[[1970年代]]まで長きにわたり日本の国鉄・私鉄における[[旅客車]]用自動ブレーキ弁システムの主流をなした。</ref><ref group="注釈">WH社の命名ルールでは、厳密に電動車・制御車・付随車用自動空気ブレーキを区分する場合にはそれぞれAMA・ACA・ATAと呼称する。ただし日本の私鉄などでは編成長が短く付随車が少数であったこともあり、電動車用で代表して「AMAブレーキ」などと呼称する例が多く見られた。</ref>の基本システムを踏襲しつつ、中継弁 ('''R'''elay valve) を介することでブレーキ力を増幅し、また各車のA動作弁に電磁空気弁を付加して、ブレーキ指令に対する応答速度を高めたものである。
 
電磁空気弁の併用により、編成の先頭から最後尾までほぼ遅延なくブレーキを動作させることが可能となり、日本の電車としては未曾有の長大編成である16両編成運転が実現した。
 
[[ブレーキシリンダ]]を車体床下に装架し、ロッドで台車に制動力を伝える点では在来電車と変わらなかったが、在来電車が「1両当たり1シリンダ仕様」で前後2基の台車をテコとロッドで連動させて制動していたのに対し、本系列では中継弁使用の恩恵で台車1台毎に独立した専用ブレーキシリンダーを配置する「1両あたり2シリンダ仕様」となり、作動性と保安性も向上させた。この仕様は、国鉄電車では[[国鉄旧形電車の車両形式|国電]]グループでの採用にとどまり、[[新性能電車]]グループ以後は台車への直接シリンダ搭載にまで進歩したが、気動車では標準台車のブレーキが長く車体シリンダ仕様を用いたこともあり、1953年(昭和28年)[[気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式#液体式(流体式)|液体式気動車]]実用化後も、国鉄末期の一部車種にまで30年以上にわたって踏襲された。
 
==== ジャンパ連結器 ====
従来の旧形国電では低圧制御回路は定格電圧100V100 Vで動作する12芯のKE52形[[ジャンパ連結器]]2基により[[総括制御]]を行っていたが、本系列では基本的にそれまでの系列との混結運用を実施しないことが前提とされたため定格電圧は同じ100Vでありながらも15芯のKE53形2基とされたほか、[[車内放送|放送]]回路用として7芯のKE50A形を装備する。
 
=== 車両形式 ===
新造車は基本番台、座席間隔が拡大された1956年(昭和31年)以降製造の100番台(クハ86形・サハ87形)・200番台(モハ80形)、全金属車体となった300番台の番台区分が存在するほか、改造形式についても解説を行う。
* なお、[[1960年]]7(昭和35年)7月1日に[[等級 (鉄道車両)|等級制度]]が3等から2等に、[[1969年]]5(昭和44年)5月10日には[[運賃]]制度改定により1等→[[グリーン車]]・2等→[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]に、それぞれ変更されているが本項では落成当時の状況に合わせるものとする。
 
==== 新造形式 ====