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=== 車体 ===
[[File:Jnr.kuha86065.jpg|right|thumb|200px|クハ86065(先頭)<br />モハ80形200番台(中間2両)<br />クハ86形300番台(最後尾)]]
基本的共通事項として、乗降を円滑にするため3等車は1 [[メートル|m]]、サロ85形は
当初からの構造的特徴として、[[台枠#鉄道車両の台枠|台枠]]のうち台車心皿中心間で[[竜骨 (船)|船の竜骨]]に相当する中梁を簡素化し、車体側板と接する側梁を強化することにより、梯子状の台枠構造全体で必要な[[強度]]を確保しつつ軽量化を図っていた点が挙げられる。これは[[1930年]](昭和5年)製造の
初期の半鋼製車では窓の高さが客車や従来の電車よりも若干高い位置とされた。引き続き改良も実施されており、客室天井の[[ベンチレーター|通風器]]が初期車での大型[[砲金]]製風量調節機能付から、2次車では製造コスト低減のため皿形の簡素なものになるなどの変更点もある。客席屋上の通風器は製造期間中3回にわたって形状変更され、試作形通風器(モユニ81003・004に取付)を含めると計5種類に分類できる。
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なお、設計変更も含む大改良のため以下の[[番台区分]]も実施された。
; 100番台(クハ86形・サハ87形)・200番台(モハ80形)
: [[1956年]](昭和31年)・[[1957年]](昭和32年)の[[東北本線|東北]]・[[高崎線]]用及び東海道線用増備車。
:* 耐寒設計の導入
:* 座席間隔と座席幅を拡大
:* 側窓枠を木製から[[アルミニウム合金|アルミ合金]]製に変更
:* 屋根布を雨樋直上から張るように変更し、それ以前の張り上げ屋根(ただし雨樋位置は下部)を中止。
:* 客席屋上通風器を大型の箱型に変更。ただし、1957年度増備車ではサロ85形を除き小型の千鳥配置に再変更。
:* サロ85形は番台区分未実施だがバランサー付きの1段下降窓に変更(85030 - 85035)
; 300番台
: 1957年(昭和32年)・1958年(昭和33年)製の最終増備車。東京 - [[名古屋駅|名古屋]]間といった長距離区間を走行する[[準急列車]]への投入も考慮された設計変更が施され、当時最新鋭であったナハ11形などの[[国鉄10系客車|10系客車]]に準じた軽量構造車体が採用された。
:* セミ・[[モノコック]]構造の全金属車体の採用
:* 車体側面窓上下の[[ウィンドウ・シル/ヘッダー]]を廃して窓も大型化
:* 客用扉下部の[[プレス
:* 内装の完全金属化と当初から[[蛍光灯]]照明を採用
:* サロ85形に専務車掌室・[[車内販売]]用控室の設置
:*
=== 車内設備 ===
[[File:Jnr-Moha80001-3 inside.jpg|thumb|200px|right|モハ80001の車内]]
客室内装も当初は戦前同様に[[木構造 (建築)|木製]]で照明も[[白熱電球|白熱灯]]を採用。客車同様の[[鉄道車両の座席#クロスシート(横座席)|クロスシート]]、両端のみ通勤利用も考慮し[[鉄道車両の座席#ロングシート(縦座席)|ロングシート]]とし、座席下には[[電気暖房 (鉄道)|電気暖房]]を搭載する。
* [[国鉄32系電車|32系]]・[[国鉄52系電車|52系]]などの戦前製2扉
クロスシートは座席のシートピッチ(前後間隔)を従来の客車より縮め、座席数を増やして定員を拡大するとともに通路幅を
* 初期車では有効空間を拡大するため座席背ずりの上半分に[[モケット]]が張られていなかったが(しかも物不足から不心得者がモケットを切り裂いて持ち去る風潮に対抗するため、当初は当時の[[工部省|「工」の字]]の国鉄マークを織り込んだ特製モケットを張っていた)、アコモデーションの面では不評で、2次車からは背ずり全体に(柄のない通常の)モケットを張る改善が実施された。
[[列車便所|
* [[連合国軍最高司令官総司令部|進駐軍]]関係者など外国人の利用を考慮し、サロ85形初期車では[[便器#腰掛大便器(洋式・洋風大便器)|洋式]]としたが、当時の日本人乗客には洋式便器の使用法を知らない者が多く、汚損・破損や故障が頻発したため、2次車のサロ85006以降は[[便器#和式大便器(和風大便器)|和式]]となった。
=== 主要機器 ===
[[鉄道車両の台車|台車]]・[[主電動機]]・[[主制御器]]などは、[[戦時設計]]ながら戦後も大量増備されていた[[国鉄63系電車|63系]][[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]に[[1947年]](昭和22年)以降試験搭載され改良を重ねて来た新技術が活かされている。そのシステムは、1950年(昭和25年)時点の国鉄における最新・最良の内容といえるものである。
大出力主電動機搭載の長所を活かし、当初は編成内[[MT比]]2:3で[[起動加速度]]1.
==== 主電動機 ====
当時の国鉄電車用として最強の[[制式名称|制式]]電動機であるMT40<ref group="注釈">端子電圧
* MT40は、戦前からの標準型主電動機のMT30<ref group="注釈">端子電圧
駆動装置は従来どおり吊り掛け駆動方式を採用し、[[歯車比]]は同じMT40を装架する63系通勤形電車の2.87に対し、高速性能を重視した2.56とした。これにより[[定格#鉄道車両における定格速度|1時間定格速度]]は全界磁時56.
==== 主制御器 ====
CS10は、CS5に対して以下の相違点を有する。
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* 直並列切替時には主回路上に接触器を一旦挿入し、わたり動作中の電動機の引張力変化を最小限に抑制する[[主制御器#橋絡渡り|橋絡渡り]]を導入。この結果切替ショックを大幅に軽減した。
* CS5では焼損事故が発生した場合に発火による被害が制御器本体にまで及んでいた内蔵[[断流器]]をCB7あるいはCB7A[[遮断器]]として別筐体に格納するように変更。故障時の被害を最小限に抑えることが可能となった。
* CS9AあるいはCS11<ref group="注釈">
制御段数は直列7段・並列6段・並列弱め界磁1段で弱め界磁率は60%である。
さらに1952年(昭和27年)以降製造グループでは、並列弱め界磁段を2段構成とし、弱め界磁率を60 %と75 %の2段切り替えとした改良型のCS10Aに変更、高速域での走行特性が改善された。
クハ86形・クハ85形・クモユニ81形の主幹制御器([[マスター・コントローラー]])は、いずれも[[ゼネラル・エレクトリック]]社製C36の[[デッドコピー]]品で、戦前より国鉄電車の標準機種であったMC1系のMC1Aを搭載する。
==== 台車 ====
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===== 初期形 =====
[[File:Dt16.jpg|thumb|right|200px|DT16形台車]]
; [[国鉄TR23形台車#派生形式|DT16]](モハ80形)
: DT16は新開発の高速運転用[[鋳鋼]]台車である。旧呼称TR39Aが示すように、1948年(昭和23年)ごろから63系で採用が始まっていた扶桑金属(現・[[新日鐵住金]])製ウィングばね式[[国鉄TR37形台車|DT14 (TR37) ]]・軸ばね式DT15 (TR39)という軸箱支持機構の構造を違えた鋳鋼台車2種類<ref group="注釈">これらは側枠・トランサム・端梁の3種の鋳鋼製部品をボルト組み立てする構造で共通し、側枠の軸箱部周辺を除きほぼ同一設計である。なお両形式ともに側枠とトランサムを結合する[[ボルト_(部品)#ボルトの種類|リーマボルト]]の頭部を納めるための開口部が側枠中央部に設けられ、それぞれ途中で設計変更されているが、この設計変更内容も共通(独立した丸穴を4×2×2=16カ所設けていたものを、横に長い楕円穴1つで丸穴2つ分に代えることで2×2×2=8カ所とした)である。</ref>の使用実績を受け、DT15を基本として改良を加えたものである。
:* DT15からの改良点は乗り心地改善のため軸ばねの大
: 設計は戦前[[鉄道省]]標準
; TR43・TR45(クハ86形・サハ87形)
; TR43A・TR45A(サロ85形)
: 鋼材組立台車で、従来
;* 当時の主力国鉄客車であった[[国鉄オハ35系客車|オハ35形]]などのペンシルバニア型TR34でもローラーベアリングは標準的に採用されており、客車列車の電車化という本系列の設計概念を考えるとごく自然な選択である。
:
: なお、1951年には小改良を施されたTR45・TR45Aに変更された。
===== 1952年以降 =====
; [[国鉄DT17形台車|DT17]](モハ80形)
: 枕ばねを重ね板ばねからコイルばねに変更して揺動特性を改善した新型鋳鋼台車。DT16を基本としつつ側枠・トランサム(横梁)・端梁を一体とした一体鋳鋼台車枠を採用し、揺れ枕の枕ばねを複列配置のコイルばね + [[ショックアブソーバー|オイルダンパ]]で置換え、側枠の外側に配置することでコイルばねの高さを十分に確保し、なおかつ揺れ枕吊りのリンク長さも最大限に延伸して左右動の揺動周期を拡大している。
; TR48(クハ86形・サハ87形)
; TR48A(サロ85形)
: 付随台車でも同様にコイルばね + オイルダンパを枕ばねに採用。一体鋳鋼台車枠の側枠部分が軸箱周辺で跳ね上がった軽快な外観を持つ。
:* TR48・TR48Aは完成度の高さから、以後300番台の最終増備に至るまで付随台車として継続採用<ref group="注釈">TR48の後継としてDT20Aの付随台車版である仮称TR51も設計されたが、メーカー各社の製造技術の差異や供給能力を勘案して付随台車は鋳鋼製の本台車が継続採用となった。</ref>された。
===== モハ80形200番台・300番台 =====
[[File:Seibu-el-e34DT-20A.JPG|thumb|200px|right|DT20A台車]]
; [[国鉄DT20形台車#派生形式|DT20A]]
: 台車枠を[[プレス加工|プレス]]成型部材の[[溶接]]組み立て式とし、ゲルリッツ式近似の軸ばね構造<ref group="注釈">ゲルリッツ式は[[第二次世界大戦]]前に[[ドイツ国|ドイツ]]で開発された高速運転対応台車で、2段リンクで長い重ね板ばねを吊り下げた枕ばね部分を特徴とし、これと軸箱直上の板バネをウィングばねで支持する機構を併用する構造となっており、日本でも戦前に[[国鉄スハ32系客車|32]]・[[国鉄オハ35系客車|35系客車]]にで試験が実施された。DT20で採用された上天秤ウィングばね方式は、このゲルリッツ式の一方の特徴であった軸箱直上の板ばねによるイコライジング機構を単純な天秤に置換えたもので、もう一方の特徴である枕ばね部の機構は[[ホイールベース]]が極端に長くなる(一般に
:* 軸ばねと枕ばねのたわみ量について振動解析が行われ、軸ばねを柔らかく、枕ばねを硬く設定する従来の経験則に基づく組み合わせから、解析結果に基づいて双方のたわみ量を均等とする設定に変更され乗り心地が改善された。
: 国鉄旧形電車用台車の最終発展形と言える性能の優れた台車であったが、構成部品が多く高コストな上、直後に開発された新性能電車には、別途新構想に基づく[[国鉄DT21形台車|DT21]]系台車が開発されたために少数の製造に留まった<ref group="注釈">元々は老朽化の著しい[[国鉄TR10形台車#派生形式|DT10]]装備のモハ30・31の交換用台車としても使用できるよう設計されたもので、それゆえ軸距
===== 試作台車 =====
本系列では車両メーカー各社による試作台車の試用が行われた。以下でその詳細について解説を行うが、これらはいずれも試験終了後
; [[川崎重工業車両カンパニー|川崎車輛]][[川崎車輌OK形台車|OK-4]](銘板ではOK-IVと表記 国鉄形式DT29)
: モハ80014に装着。63系 (OK-1) やオロ41 6 (OK-2) で先行試用されていた軸梁式台車の改良型。軸梁の支持基部を側枠に強固に固定して直進安定性の確保を最優先とした。本系列での試用後に[[国鉄クモヤ93形電車|クモヤ93000]]へ転用され、試作のMT901電動機を装架の上で[[狭軌]]での[[鉄道に関する世界一の一覧#速度|世界最高速度記録]](当時)となる
;[[三菱重工業|新三菱重工業]][[三菱重工業MD形台車|MD3]](国鉄形式TR38)
:クハ86007・サハ87010・サハ87012に装着。63系などでの試用が行われていた軸梁式台車。ただし上述OK-4とは大きく異なり、MD3では軸梁支持腕を支える基部を[[トーションバー]]を介して側梁と柔結合することで、軸梁部に上下動だけでなく左右動も許容する構造となっており、直進安定性に加えて曲線通過も円滑にする設計意図が明確に示されていた。
==== ブレーキ ====
長大編成電車に適合させた[[自動空気ブレーキ]]の「AERブレーキ」<ref group="注釈">自動空気ブレーキの開発元である[[ウェスティングハウス・エア・ブレーキ|ウェスティングハウス・エアブレーキ]]社 (WABCO) 流の命名ルールでは、A動作弁 + 中継弁 + 電磁給排弁の組み合わせの場合は空気制御系を優先して「A'''RE'''ブレーキ」と呼称されるのが通常である。だが国鉄では戦前から試用していたAEブレーキに新たに中継弁を付加した、という実用化の経緯からかRとEの順序を逆転させて呼称を用いた。AMA(ACA・ATA)-REブレーキなどとも通称される。</ref>を国鉄の量産車として初めて採用した。戦前から一部の車両を使って実用試験が繰り返されて来た、[[電磁弁|電磁空気弁]]('''E'''lectro-pneumatic valve)<ref group="注釈">その機能から電磁給排弁あるいは電磁同期弁、電磁吐出弁もしくは単に電磁弁などとも呼ばれる。</ref>付きの「AEブレーキ」を基本として開発されたものである。
* 従来国鉄電車・客車で標準的に用いられて来た「'''A'''動作弁」による「Aブレーキ」<ref group="注釈">国鉄では客車用はAVブレーキ装置と呼称。A動作弁は鉄道省の標準的な客車用自動ブレーキ弁として、日本エヤーブレーキ(現・[[ナブテスコ]])がWH社製U自在弁の利点を取り入れつつ[[1928年]](昭和3年)に開発したもので、のち電車・[[気動車]]にも採用され、[[1970年代]]まで長きにわたり日本の国鉄・私鉄における[[旅客車]]用自動ブレーキ弁システムの主流をなした。</ref><ref group="注釈">WH社の命名ルールでは、厳密に電動車・制御車・付随車用自動空気ブレーキを区分する場合にはそれぞれAMA・ACA・ATAと呼称する。ただし日本の私鉄などでは編成長が短く付随車が少数であったこともあり、電動車用で代表して「AMAブレーキ」などと呼称する例が多く見られた。</ref>の基本システムを踏襲しつつ、中継弁 ('''R'''elay valve) を介することでブレーキ力を増幅し、また各車のA動作弁に電磁空気弁を付加して、ブレーキ指令に対する応答速度を高めたものである。
電磁空気弁の併用により、編成の先頭から最後尾までほぼ遅延なくブレーキを動作させることが可能となり、日本の電車としては未曾有の長大編成である16両編成運転が実現した。
[[ブレーキシリンダ]]を車体床下に装架し、ロッドで台車に制動力を伝える点では在来
==== ジャンパ連結器 ====
従来の旧形国電では低圧制御回路は定格電圧
=== 車両形式 ===
新造車は基本番台、座席間隔が拡大された1956年(昭和31年)以降製造の100番台(クハ86形・サハ87形)・200番台(モハ80形)、全金属車体となった300番台の番台区分が存在するほか、改造形式についても解説を行う。
* なお、[[1960年]]
==== 新造形式 ====
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