「中央アメリカ連邦共和国」の版間の差分

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その後、[[19世紀]]を通じ、さまざまな再統合の努力がなされたがどれもみな持続しなかった。
 
各共和国が独立した後はエルサルバドルが中心となって再統合を計り、最初の再統合の試みは、[[1842年]]に前連邦大統領[[フランシスコ・モラサン]]によって行われた。しかしモラサンはただちに捕らえられ処刑された。<!-- The abortive attempt aimed to restore the union as the Confederation of Central America and included El Salvador, Guatemala (which withdrew early), Honduras, and Nicaragua).-->この試みは1844年まで続いた。
 
二度目の再統合の試みは、[[1852年]]の10月から11月まで、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグアによる連邦(Federacion de Centro America)の結成を目指して行われた。[[1880年代]]には、グアテマラの大統領{{ill2|ユスト・バリオス|es|Justo Rufino Barrios|en|Justo Rufino Barrios}}が、軍事力によって再統合を行おうとしたが、そのさなかに殺害された。三番目は1893年に就任したニカラグアの大統領{{ill2|ホセ・サントス・セラヤ|es|José Santos Zelaya|en|José Santos Zelaya}}が行おうとしたがこれも失敗した。四番目の再統合は、[[1896年]]から[[1898年]]まで続き、これはホンジュラス、ニカラグア、エルサルバドルによる[[中央アメリカ大共和国]](Republica Mayor de Centroamerica)の結成であった。
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しかし、崩壊後もこの地域の一体感は強く、[[1960年]]には他の域内統合の動きに先駆けて[[中米統合機構]]が発足するなど現在も統合の動きは強い。
 
== 歴代統治権者・大統領 ==
1821年の独立から1839年の連邦共和国崩壊までの統治者・政治指導者を以下の表にて示す: