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'''トーマス・ヘンダーソン'''
==人物・生涯==
[[ダンディー (スコットランド)|ダンディー]]に生まれる。法律を学んだ。趣味で天文観測と数学を研究した。月の隠蔽を使って経度を求める方法を考案したことで、当時イギリス海軍の『天文年鑑』発行の監督官をしていた[[トーマス・ヤング]]に注目され、天文学の職を得ることができた。ヤングは自分の死後、ヤングの職をヘンダーソンに継がせることを推薦した手紙を残した。南アフリカの[[喜望峰]]の天文台の観測者になり、そこで1832年4月から1833年5月まで多くの星の観測を行い、その中にはケンタウルス座α星があった。▼
[[ダンディー (スコットランド)|ダンディー]]に生まれる。法律を学んだ。趣味で天文観測と数学を研究した。
▲月の[[
1830年代の天文学の関心事は[[年周視差]]を観測して、恒星までの距離を誰が最初に求めるかということで、ヘンダーソンは最も太陽系に近い星であるケンタウルス座α星を測定したことにより有利な立場にあった。イギリスに戻り、測定結果を整理して、3.25[[光年]]にあると結論したがこれは実際の距離より30%ほど小さいものであった。▼
▲1830年代の天文学の関心事は
測定装置に自信がなかったので発表をためらっているうちに、1838年に[[フリードリッヒ・ベッセル]]が[[はくちょう座61番星]]の視差を測定しその距離を10.4光年(約10%ほど小さい)であることを発表したため、最初の視差の発見者の栄誉はベッセルのものとなった。ヘンダーソンは自らの結果を1839年に発表した。▼
▲測定装置に自信がなかったので発表をためらっているうちに、1838年に[[フリードリッヒ・ベッセル]]が[[はくちょう座61番星]]の年周視差を測定しその距離を10.4光年(約10%ほど小さい)であることを発表したため、最初の年周視差の発見者の栄誉はベッセルのものとなった。ヘンダーソンは自らの結果を1839年に発表した。
1834年に最初のスコットランド王室天文官に任じられた。
==関連項目==
*[[マニュエル・ジョンソン]]
==外部リンク==
* [http://www.astronomyedinburgh.org/publications/journals/38/hend.html Thomas Henderson]{{en icon}} - Astronomical Society of Edinburgh - journal 38
* [http://www.s2a3.org.za/bio/Biograph_final.php?serial=1259 Henderson, Mr Thomas (astronomy)]{{en icon}} - S2A3 Biographical Database of Southern African Science
{{Normdaten}}
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