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== 改暦 ==
{{mainSee also|[[グレゴリオ暦#日本におけるグレゴリオ暦導入]]」、「[[新暦#旧暦から新暦への変更に伴う日付の変更]]」}}
明治5年[[11月9日_(旧暦)|11月9日]]([[1872年]][[12月9日]])の太政官布告337号によって、明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日から[[グレゴリオ暦]]<ref>厳密には、100年と400年ごとのうるう年の規則を盛り込むことが忘れられていたのだが、一般にはこの日にグレゴリオ暦に移行したものとして扱われている。</ref>に移行し、明治6年([[1873年]])[[1月1日]]となることとしたため、明治5年は[[12月3日_(旧暦)|12月3日]]から[[12月30日_(旧暦)|12月30日]]までの28日間が存在しない。
 
[[11月29日_(旧暦)|11月29日]](旧暦明治5年11月の<ref>旧暦では月の最後の日は必ずしも一定しない。</ref>最後の日)に続けて[[11月30日_(旧暦)|11月30日]]と'''11月31日'''を設け[[12月_(旧暦)|12月]]は省かれる、とする方策布告検討一旦出されたが、「[[月の大小#太陰・太陰太陽暦の場合|小の月]]」で「30日」「31日」は一般に存在しないこともあり、そちらは行わ直後に取り消さなかったるほど政府側も混乱している
 
布告から実施まで1か月足らずという突然の改暦の強行は、旧暦では翌明治6年が13か月になるため、維新早々に財政難を起こしていた明治政府が役人に13か月分の俸給を払いたくなかった事が背景にあるとされる。さらに12月の分についても2日間しかないことを理由に俸給を省略しており、明治政府は結局2か月分を改暦によって調整している。
 
改暦がなければこの年の1年間の長さは355日間となるはずであったが、改暦によって327日間となった。