「料理の鉄人」の版間の差分

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*[[小林カツ代]] - 「家庭料理」の雄として登場。鉄人指名の際には「どなたでも結構です」(鉄人を相手にするのだから誰とやっても同じという理由で)と答えた。驚いた鹿賀主宰だが、鹿賀は「女性に弱い」とレッテルを貼られていた陳を指名。終始、小林の独特のペース(テーマは「ジャガイモ」。「肉じゃが」を期待され、それに応える)で進んだ、異色の回であった。小林の勝利。のちに息子の[[ケンタロウ]]も陳と対戦するものの敗北している。
*[[田崎真也]] - 1995年に日本人として初めて『世界最優秀ソムリエコンクール』で優勝した[[ソムリエ]]界の[[カリスマ]]的存在。[[ソムリエ]]として料理に合った[[ワイン]]を選び出すだけでなく、その反対にワインに合った料理を創作することも得意であり、「[[中トロ]]対決」で神戸と対戦して勝利を収めた。田崎が作った各種料理には、それぞれ田崎自身が料理に合わせて選び出したワインが添えられていた。
*アルトア・ルター - 日本在住の[[ドイツ]]人のフレンチシェフ。道場の2敗目の相手。道場が「1年も経過したし、やめよう」と思っていた時期に対戦。道場はテーマ食材の「ピーマン」の本質が理解できず、ルターに負けてしまう。道場に「1年のみ」の条件を捨てさせ、結果、番組躍進のきっかけとなった、隠れた名勝負。勝者発表時にルターは「道場さん、ごめんなさい」としばらく抱擁、感動的な場面だったが、実はルター自身も作品に満足がいっておらず、そんな作品で勝ってしまったことに半分自省のつもりで謝罪したのだという。道場は後日談として、「日本料理の技法にこだわって小手先の仕事に走ってしまった。ルターさんの心にドーンと落ちるような豪快さがなかった」と回顧している。みにお、彼の妻は日本人である。
*清水忠明 (しみず ただあき)- かつてフランス最古の歴史を誇る名店「[[トゥール・ダルジャン]]」で副料理長を務めていたという経歴を持つ料理人で、「[[オマールエビ|オマール]]対決」で坂井を初めて破った。その後、清水が副料理長を務めていた「[[トゥール・ダルジャン]]」の当時の料理長であった[[ドミニク・ブシェ]]も2000年正月の特別編に出場し、「[[神戸牛]]対決」で名誉鉄人の道場と名勝負を繰り広げた。
*城悦男(じょう えつお) - かつて石鍋や坂井と共に「クラブ・デトラント」を結成した、日本におけるフランス料理界の第一人者。「ソースの城(じょう)」の異名を取るほどの凄腕という触れ込みだった。初登場時には道場との「[[ブロッコリー]]対決」で敗れたが、後に坂井との「[[ワイン]]対決」で勝利を収めた。その後、鹿賀主宰2000皿試食記念対決(後述)では、石鍋・坂井と共にチームを組んで出場した。みにお、彼は[[前衛]]的な作風の料理を得意とする石鍋・坂井とは対照的に、伝統を重視する[[保守]]的な作風の料理を得意としていた。
*[[大田忠道]] - 日本調理師協会副会長(当時)の肩書を持つ関西料理界の重鎮として出場、坂井との「[[タコ]]対決」で勝利を収めた。番組後期には、神田川俊郎の後を継ぐ形で、全国5000名の門下生の中から厳選した精鋭70名で構成された「大田天地(あめつち)の会」(通称・大田軍団)をたびたび番組に送り込み、第3代の和食の鉄人である森本と何回も名勝負を繰り広げた。番組では森本の創作和食に批判的な立場を取っていたが、本人も弟子も西洋・中華食材を取り入れる自体には積極的である。
*[[脇屋友詞]] - 中国料理にフランス料理の要素を取り入れた「[[ヌーベルシノワ]]」の先駆者として知られ、過去2回出演し1勝1敗の成績を残す(坂井に敗北、陳に勝利)。その後、2000年ミレニアムカップにて、フレンチの三谷青吾と共に新鉄人候補になったりするも、正式起用される前に番組そのものが終了。それから10年後、後継番組『[[アイアンシェフ]]』で改めて中華のアイアンシェフに起用され、同番組のアイアンシェフデビュー戦ではかつて脇屋に敗れた前中華の鉄人陳の息子[[陳建太郎]]を挑戦者に迎えての中華対決を制した。