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国民に所有される膨大な武器が大きく削減するのは、[[太平洋戦争]]敗戦後の、[[連合国軍最高司令官総司令部]]の占領政策による。1946年([[昭和]]21年)に「銃砲等所持禁止令」が施行され、[[狩猟]]用や[[射撃]]競技用以外の銃器類と、美術用以外の日本刀を所持することができなくなった。これにより300万もの刀剣が没収されたと文化庁は述べた。没収喪失した中には占領軍を恐れてやみくもに出された名刀も多く含まれた。また「GHQが金属探知機で探しにくる」という流言から、所有者が刀剣を損壊・廃棄したり、隠匿により結果腐朽させてしまったりした。それまでの銃刀の所有世帯への政策は占領終結後もほぼ引き続き行われ、禁止令が改められた[[銃砲刀剣類所持等取締法]]による許可・登録制と治安を重点とした対策となった。[[警察]]により、一層武器の取締りが厳しくなったが、1999年(平成11年)の段階で銃刀法による登録は、刀は231万2千本、銃器は6万8千挺に上る。[[太平洋戦争]]前の国民の所有する刀は計約500万本となり、敗戦直後には1500万世帯だったので戦前には平均3軒に1軒は刀を所有して身辺に刀が存在していたことになり、刀狩りが武装解除ではなかった象徴である<ref>『刀狩り 武器を封印した民衆』藤木久志 P.208-222 2005年 岩波新書</ref>。その後、犯罪対策で、特に銃器関連は厳しくなり所持するには通常少なくとも数か月期間の審査を受けることが必要となった。
 
== 高度経済成長期以後の刀狩 ==
実際の刀剣に関わらないが、昭和52年に発売したスズキ製の大型自動2輪車(GSX750S)に対して都道府県警察が、'''刀狩'''と呼ばれる交通取り締まりをを全国各地で実施した。当時の日本国内では、国内販売向け2輪車種の排気量に750cc上限自主規制が存在し、低い位置のハンドルバーを採用する輸出仕様(GSX1100S)では、当時の国内車両保安基準を適合出来なかった為、オリジナルデザインと大きく異なる高い位置のハンドルバーを採用し市販された。この見た目の格好悪さから、「耕耘機ハンドル」と揶揄された。オリジナルモデルの輸出仕様車に存在した”刀”ステッカー(書類に同封されてはいた)と、前面風防は付けられておらず、正式車名に「刀(カタナ)」の文字も不採用になった。特にハンドル位置にについては、ユーザーが輸出仕様用のハンドル部品を取り寄せて交換することが多く、当時の国内車両保安基準違反となり違法改造とされた。この改造を警察が集中的に取り締まることが多く、その取締が「刀狩」と呼ばれた。その後は、国内車両保安基準の緩和が行われ、認可基準の見直しにより国内モデルでも前面風防の設置やハンドルの変更などが可能になった。
 
== 脚注 ==