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→‎その後: 「回天の搭乗員は全て志願者であった」旨の文章を簡素化。
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[[1945年]]3月以降は[[本土決戦|敵本土上陸]]に備えて、陸上基地よりの出撃や施設設営とともに、スロープを設けられた旧式の[[巡洋艦]]([[北上 (軽巡洋艦)|北上]])や、[[松型駆逐艦]]、[[一等輸送艦]]からの発射訓練も行われたが、戦地へ輸送中に撃沈されたり、出撃前に終戦となった。
 
終戦を迎えたあと、必死を要求される特攻兵器のイメージから「強制的に搭乗員にさせられた」「ハッチは中からは開けられない」<ref>[[#南海の死闘]]189頁(著者は竹乗組員、回天戦訓練に従事)</ref>「戦果は皆無」などの作戦に対する否定的な面が強調され、ときには事実と異なる情報が流布されたこともあった。回天のハッチは中から手動で開けられ、外からも工具を必要とするものの開閉できた。これは脱出装置が装備されていないこととの混同が発生していると思われる。また、回天の搭乗員は操縦の特異性から転用ができないため、全てが回天戦のために選抜されて訓練を受けた優秀な若い志願兵だ者であった。ただし、当時の日本軍将兵にとって特攻隊への志願を拒否することは著しく困難であったことも考え合わせる必要がある。
 
[[広島市への原子爆弾投下|広島]]と[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]に落とされた[[原子爆弾]](核部分)を[[テニアン島]]まで運び、帰路にあった[[重巡洋艦]][[インディアナポリス (重巡洋艦)|インディアナポリス]]を撃沈したのは、この回天特別編成隊の多門隊・[[伊号第五十八潜水艦|伊58潜]]によるものだった<ref name="叢書九八431伊58">[[#叢書98|戦史叢書98巻]]、431頁「回天特別攻撃隊多聞隊/伊五十八潜」</ref>。ただし、会敵時は暗く回天戦は困難であり、[[橋本以行]]艦長の判断で回天は予備に置かれ、通常の[[雷撃]]で行われた。多門隊の回天は後に沖縄海域で故障艇1<ref>白木一郎一飛曹のみ回天の故障により帰還</ref> を除き全て出撃した。