「八丁味噌」の版間の差分

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[[名古屋圏]]では「[[味噌汁]]」といえば豆味噌を用いた赤い汁のものが一般的であり、八丁味噌も他の豆味噌同様、濃い赤褐色をしているのが特徴である。
 
水で洗った大豆を浸漬し、水を切り蒸し冷ましミンチにして味噌玉に丸めて種麹をまぶして室で4日かけ豆麹を作り、味噌麹に白塩と水を加えて木製(6尺)の大桶に空気を抜きながら味噌を敷き詰め、その上から石積みして<ref>[http://www.geocities.jp/local_j21/shokuwa/taikaiwshaccho.htm 大人のための食育ワークショップ 2006 in 大阪 豆味噌純情物語]</ref>、長期間(1年半から2年以上)天然醸造される。腐敗を防ぐために塩分濃度を高めているため、独特の渋みとうまみが特徴である<ref>{{Cite book|和書|editor=県民学研究会|title=思わず話したくなる愛知学|year=2014|page=18|publisher=[[洋泉社]]|isbn=978-4-8003-0442-1}}</ref>。全国的には豆味噌(赤だし)というと塩辛いイメージがあるが、八丁味噌は塩分が少ない。
 
2社ある製造業者の一つ、[[まるや八丁味噌]]の場合、[[直径]]・高さとも2[[メートル]]程度の[[桶]]200本(カクキューは約5倍)にそれぞれ約6[[トン]]の味噌を仕込み、[[麻]][[布]](カクキューは木蓋)をかぶせた上から合計約3トンの石を手積みする。大きさや形が異なる大小様々な石(外約60kg、内11kg、頂点9㎏)を加重が均一になるよう組み合わせ、「二夏二冬」熟成させる<ref name="ASAHI20170410">{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/DA3S12885034.html|title=【凄腕つとめにん】まるや八丁味噌製造部石積職人・染次一郎さん(48) (48)みそおけ1本に積む石、約3トン|work=|publisher=[[朝日新聞]]夕刊|date=2017年4月10日|accessdate=2018年1月27日}}</ref>。一番上の『まんじゅう石』が重要と言われる。
 
== 由来 ==
現在の岡崎市[[八帖町]]はかつて「八丁村」といった。これは[[岡崎城]]より西へ八[[町 (単位)|町]](約800m)離れていたことに由来する。この八丁村は矢作川の伏流水による湧き水が豊富で、かつ[[東海道]]の水陸交通の要地であった。すぐそばに[[矢作橋]]が架設されており、舟運(八丁土場と呼ばれた)も同時に恵まれていた。そこで、兵食として重要視されてきた味噌を、軍需物資の兵站基地として形成された八丁村で製造することに着目した早川久右衛門家(現・カクキュー)と大田弥治右衛門家(現・まるや八丁味噌)が当地で味噌醸造を創業した。すなわち「八丁味噌」の始まりである<ref name="shinpen-3-1265-1267">『[[#新編近世3|新編 岡崎市史 近世 3]]』 1265-1267頁。</ref><ref>{{Cite book|和書
|author = 森原章・林薫一編
|year = 1982-12-25
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岡崎出身の武将、[[徳川家康]]の健康と長寿と支えたのは「[[麦飯]]と豆味噌」だったと言われ<ref>{{cite news |url =https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK24034_U2A920C1000000?channel=DF130120166104&style=1 | title =家康、元就の長寿を支えた食生活の秘密 戦国武将の長寿食 | publisher = [[日本経済新聞]]| date= 2012-9-26| accessdate =2018-3-31}}</ref>、戦国時代には岡崎で豆味噌が製造されていたものと考えられる。カクキューの早川家が1878年に[[愛知県庁]]に提出した上申書には同家の創業は「1645年([[正保]]2年)」と記されているが<ref name="shinpen-3-1265-1267" />、1655年([[明暦]]元年)に[[朝鮮通信使]]が岡崎に宿泊した折に伝えた味噌の製法が八丁味噌の起源となったという説も存在する<ref>『おかざきしんぶん』第5号、1981年4月30日、10面、「地場産業〝八丁味噌〟」。</ref>。
 
八丁味噌は「[[三河]]味噌」や「[[三州]]味噌」とも呼ばれ、[[江戸時代]]は江戸へ海運の便で出荷されていた。そして[[廻船]]の帰り荷として関東・東北方面から大量の[[大豆]]が買い付けられた<ref>『[[#新編近世3|新編 岡崎市史 近世 3]]』 1268-1269頁。</ref>。徳川家康の廟所である[[日光東照宮]]の造営にあたっては、[[宮大工]]たちの食料に岡崎の八丁味噌が用いられたと言われている<ref>『[[#みそ文化誌|みそ文化誌]]』 242頁。</ref>。
 
江戸期の塩の仕入れ先は次のとおりであった。早川家は[[矢作古川]]の河口付近で生産される饗庭(あえば)塩を専ら使用し、そのほとんどを富吉外新田(現・[[西尾市]]吉良町富好新田)に住む大岡屋鈴木家から仕入れていた。大田家も同様に饗庭塩を使用し、平坂の口入れ屋から主に仕入れていた。こうした事実から八丁味噌と[[三河湾]]沿岸の製塩地との関係は古く、深いものがあったと考えられる<ref>『[[#新編近世3|新編 岡崎市史 近世 3]]』 1275-1277頁。</ref>。
 
== 商標出願 ==
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== 地理的表示ブランドの登録をめぐる問題 ==
産品の名称([[地理的表示]]、GI)を知的財産として登録し、保護する制度である「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」が2014年6月25日に制定された<ref>[http://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/index.html 地理的表示保護制度(GI):(GI):農林水産省]</ref><ref>{{Cite web |date=2014-6-25 |url=http://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/outline/attach/pdf/index-9.pdf |title=特定農林水産物等の名称の保護に関する法律 |format=PDF |publisher=農林水産省 |accessdate=2018-3-18 }}</ref>。この「[[地理的表示#地理的表示保護制度(GI)|地理的表示保護制度]]」の登録をめぐって岡崎市の老舗2社が外されたことが現在大きな波紋を呼んでいる。
 
岡崎の「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社は同法が施行された2015年6月1日<ref>{{Cite web |date=2015-5-29 |url=http://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/outline/pdf/doc8.pdf |title=特定農林水産物等の名称の保護に関する法律施行規則 |format=PDF |publisher=農林水産省 |accessdate=2018-3-18 }}</ref>にGIへ登録を申請した。続いて同年6月24日、[[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]]に事務所を置く「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」も登録を申請した。GIを管轄する農林水産省は「岡崎だけでなく、県内全域で長く生産されてきた」と両者に一本化を要請。「登録された製法は、県内で豆味噌を造れば全て八丁味噌を名乗れる内容で、今の枠組みには参加できない」と不満をあらわした岡崎2社は同省と折り合えないと判断、2017年6月に申請を取り下げた<ref>{{cite news |url =http://www.yomiuri.co.jp/chubu/news/20180315-OYTNT50002.html | title =八丁味噌 GIGI登録不服申し立て | publisher = [[読売新聞]]| date= 2018-3-15 | accessdate =2018-3-18}}</ref>。
 
2017年12月15日、農水省は「愛知県味噌溜醤油工業協同組合」を八丁味噌の生産者団体として登録した<ref>[http://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/49.html 登録の公示(登録番号第49号):):農林水産省]</ref>。
 
2017年12月に妥結した[[欧州連合]](EU)との[[経済連携協定]](EPA)では、八丁味噌を含め輸出をにらむ全国48品目が保護される。しかし登録から外れた岡崎の2社は、EPA発効後、EU加盟国で八丁味噌を名乗れないこととなった<ref>{{cite news |url =http://www.yomiuri.co.jp/chubu/news/20180314-OYTNT50000.html | title =八丁味噌本場GI登録外 老舗2社 | publisher = 読売新聞| date= 2018-3-14 | accessdate =2018-3-18}}</ref>。また国内でもマークを使えない結果となった。生産量の半分超を占めるとされる同2社は「県内に生産地域を広げ製法の基準を緩くすれば、品質を保てず顧客をだますことになる」と主張。2018年1月26日、国へ不服申し立てすることを明らかにした<ref>{{cite news |url =http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201801/CK2018012602000264.html | title =老舗を入れず みそ付けた!? 八丁味噌「GI」マーク巡り論争 | publisher = [[東京新聞]]| date= 2018-1-26| accessdate =2018-1-26}}</ref><ref>『[[中日新聞]]』2018年1月27日付朝刊、西三河版、20面、「八丁味噌 社長ら困惑 『伝統製法 なぜ評価されない』」。</ref>。
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|author =
|year = 1992-7-1
|title = 新編 岡崎市史 近世 3
|publisher = 新編岡崎市史編さん委員会
|ref = 新編近世3