「マルティアヌス・ミンネウス・フェリクス・カペッラ」の版間の差分

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マルティアヌス・カペッラはその著作の評判の点で最もよく理解されている<ref>"The most eludicating approach to Martianus is through his ''[[fortuna]]'' (Stahl 1965:105).</ref>。彼の著作は中世初期を通じて読まれ、教えられ、注釈されており、初期中世、[[カロリング朝ルネサンス]]の時代のヨーロッパの教育を方向付けた。
 
5世紀終わりごろに、もう一人のアフリカ人[[ファビウス・プランキアデス・フルゲンティウス|フルゲンティウス]]がマルティアヌス・カペッラの著作をモデルにして自身の著作を書いた。膨大な数の写本―あるセクルス・メモル・フェリクス<!--don't link: not otherwise known-->によって書かれたもの。彼は編集版を作成しようとした―に見いだされる言及によって、534年ごろに『結婚』の緻密で複雑な文章がすでに筆上の過ちによって救いようのないほど崩壊していたことが分かっている<ref>Stahl 1965:104.</ref>(セクルス・メモルの著作は9世紀に書かれた『an impressive number of extant books』の文章のもとになっている可能性があると[[マイケル・ウィンターボトム]]が主張している<ref name=Winterbottom>Winterbottom, "Martianus Capella" in ''Texts and Transmission: A survey of the Latin Classics'', edited by L. D. Reynolds (Oxford: Clarendon Press, 1983), p. 245</ref>)。もう一人の6世紀の著述家、[[トゥールのグレゴリウス]]は、マルティアヌス・カペッラの著作がすでに実質的に学校のマニュアルになっていたと証言している<ref>"Our Martianus has instructed us in the seven disciplines" (''History of the Franks'' X, 449, 14)</ref>。{{仮リンク|クラウディオ・レオナルディ|it|Claudio Leonardi}}(1959年)は、『結婚』の241の写本の目録を作成しており、中世を通じてこの本が流行していたことを証明している<ref name=Winterbottom/>。中世には『結婚』に対して夥しい数の注釈が行われた。例えば、[[ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ]]、[[ハドアルドゥス]]、[[ネッカムのアレクサンダー]]、[[オセールのレミ]]が注釈を行っている。11世紀にはドイツの修道僧[[ノートカー・ラベオー]]が最初の二巻を[[古高ドイツ語]]に翻訳した。[[スコラ学]]の上に新たな学問体系が樹立されるまでは、マルティアヌスが古代の学問を中世に伝えるうえで重要な役割を果たした。13世紀に至っても、マルティアヌスは天文学研究の作用因でありつづけた<ref>Stephen C. McCluskey, ''Astronomies and Cultures in Early Medieval Europe'', (Cambridge: Cambridge Univ. Pr., 1999), p. 159.</ref>。
 
近代の解釈者たちはマルティアヌスの思想に中世ほど関心を払わなくなり、「光を除けば、彼の著作は[[リベラル・アーツ|アルテス・リベラーレス]]について知ることは重要だと他の時代・場所の誰が思うかに頼っていた<ref>M. P. Cunningham, review of Stahl, Johnson and Burge, ''Martianus Capella and the Seven Liberal Arts, Vol. 1: The Quadrivium of Martianus Capella: Latin Traditions in the Mathematical Sciences 50 B.C.-A.D. 1250'' in ''Classical Philology'' ('''72'''.1 (January 1977, pp. 79-80) p. 80.</ref>。[[C・S・ルイス]]は『愛とアレゴリー』で、『bee orchid(ランの一種)やキリンを生み出した宇宙もマルティアヌス・カペッラ以上に奇妙な存在を生み出すことはなかった』と述べている。」